2016年8月9日火曜日

競技年齢

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グノシー 2016/08/0
オリンピック柔道で金メダルを獲れる限界年齢は何歳?
リオデジャネイロ五輪開幕直後の金メダル有望種目・柔道の面白雑学。前回は体重別と無差別の階級の歴史をご紹介しました。第2回の今回は何故、オリンピックの柔道には35歳、40歳のチャンピオンが誕生しないのか?柔道選手と年齢の話にスポットを当ててみました。
◆他の格闘技では30歳代後半・40歳代の高年齢王者は頻繁に誕生
世界には様々な格闘技がありますが、30歳代後半から40歳代の高年齢の選手が王者となった例は枚挙にいとまがありません。

格闘技黎明期から戦前戦後、そして1960年代位までは高年齢の強豪選手がかなりいました。伝統のプロボクシングでは20世紀初頭にヘビー級を含む3階級制覇を達成したボブ・フィッシモンズが40歳で世界ライトヘビー級王者を獲得し、史上最強と言われたジョー・ルイスは足掛け12年に渡り世界ヘビー級王座に君臨し34歳で25度目の防衛を果たしました(王座を返上し37歳で引退)。世界ミドル級王座に5度も就いたシュガー・レイ・ロビンソンも38歳で最後の王座から降りましたが、ラストファイトは44歳でした。アーチー・ムーアは出生年が明確ではありませんが39歳で世界ライトヘビー級チャンピオンとなり49歳まで世界ライトヘビー級王座に君臨した(9度防衛)とする説があります。プロレスは「競技」ではありませんが、ルー・テーズやカール・ゴッチの例を引き合いに出すまでもなく、ガチンコの「プライベートマッチ」では40歳代後半でも全盛期並みの実力を保持していた選手が非常に多くいたことはよく知られています。テーズの師、エド・ストラングラー・ルイスは驚くべきことに48歳で競技としての真剣勝負を行っているということです。
その後ボクシング界は、80年代に彗星のように現れたマイク・タイソンが史上最年少(20歳5カ月)で世界ヘビー級王者になるなどスピード、パワーといった身体能力に優れた若い選手が競技の場では優位となる傾向が見られました。ですが70年代に36歳で世界ヘビー級王座に3度目の返り咲きを果たした英雄モハメド・アリの伝説のファイトや80年代に37歳で4階級目の世界ミドル王座に就き50歳まで現役を続けたロベルト・デュランの超人的タフネスぶり、90年代にジョージ・フォアマンが45歳10カ月で世界ヘビー級王座に20年ぶりに返り咲くという奇跡を見るにつけ、「ヴィンテージ・ワインのように熟成された老練のボクシング」が輝きを失うことはありませんでした。
そういえば、プロレスラー・総合格闘家の前田日明さんが「大山倍達もカール・ゴッチも35歳から45歳が全盛期だった」と言っていました(ゴング格闘技 94年3月号)。また、ビル・ロビンソンも「47歳のレスラーが33歳のレスラーを破ることは充分にありえる」という見解を述べていました(1976年のアントニオ猪木 柳澤健 文藝春秋 2007年3月)。ロビンソンはその理由を「テクニックと経験の差」と述べています。
◆近年のプロボクシング・総合格闘技王者は高齢化している
近年は運動生理学の進歩や高質サプリメントの普及により、スポーツ選手の競技寿命が格段に延び、30歳代後半のボクサーなど珍しくなくなりました。昨年「世紀の対決」を行ったフロイド・メイウェザーは38歳、マニー・パッキャオは36歳でした。
さらに驚くべきことに、バーナード・ホプキンスは14年4月に49歳3カ月の史上最年長でWBA世界ライトヘビー級スーパー王座を獲得しています。
日本でも今年4月に世界スーパーフェザー級王座から陥落した内山高志は36歳でしたが、これは昔だったら想像もつかない超高齢王者です。60年代に国民的スーパースターだったファイティング原田が24歳で栄光の世界バンタム級王座から転落した後に、同い年の輪島功一は25歳でプロデビューしました。輪島が76年に32歳で3度目の世界スーパーウェルター級王座に返り咲いた時には「中年の星」と言われましたが、現代では32歳の世界王者など珍しくもありません。スーパーフライ級王者河野公平は今年36歳、バンタム級王者山中慎介も今年34歳になります。ライトフライ級王者八重樫東も今年33歳になりました。30歳の村田諒太(ロンドン五輪ミドル級金メダリスト)は「若手」とは言えないまでも、せいぜい「中堅」の部類です。
総合格闘技でもランディ・クートゥアが43歳でUFCヘビー級王座に輝いており(45歳まで王座に君臨)、ダン・スバーンのように50歳を過ぎても現役を続けた(54歳で引退発表)著名選手もいます。
あらかじめ定められた特定の相手との1試合に向けて集中して調整を重ねるプロの格闘技では、相手の戦力分析に加えて作戦や心理戦が重要な要素であり、また試合時間も長くペース配分や駆け引きも勝敗を分けるため、老獪なベテラン選手が実力を発揮しやすい土壌にあると言えると思います。
柔道から総合格闘技に転向した吉田秀彦は「僕は柔道で通用しなくなった選手なんです。でも総合(格闘技)では、こうやって戦える……不思議な世界ですよね。もし、まだ通用するんだったら僕は柔道を続けていましたよ」と言っていました(INSIDE格闘技 近藤隆夫 2008年11月6日)。
K-1や総合格闘技で活躍したミルコ・クロコップは40歳にして、28歳の石井慧をTKOで返り討ちにしましたが、ミルコは「年齢などというものは単なる数字に過ぎない」と経験とスキルの重要性を語っています(ゴング格闘技 2015年5月号)。

◆五輪柔道史上最年長金メダリストは?
さて、前置きが非常に長くなりました。本稿のテーマである柔道においては、実はさほど高年齢のチャンピオンは生まれていません。
まず、オリンピック柔道競技金メダリストの最年長記録を調べてみました。最年長は男子は前回のロンドン五輪の90㎏級の宋大男(ソン・デナム=韓国)の33歳118日、女子は08年北京五輪52㎏級の冼東妹(セン・トウマイ=中国)の32歳330日でした。意外なことにさほど高齢の王者は誕生していません。さらにメダリストまで対象を広げても男子はモブルド・ミラリエフ(アゼルバイジャン=08年北京五輪100㎏銅)の34歳169日、女子はデボラ・フラベンステイン(オランダ=08年北京五輪57㎏級銀)の33歳357日です。
つまり男子は33~34歳、女子は32~33歳がメダリストの上限年齢であることが分かります。男子でいえば日本で有名なウィレム・ルスカ(オランダ=72年ミュンヘン五輪重量級・無差別級金)が32歳、ダビド・ドイエ(フランス=00年シドニー五輪最重量級金)が31歳7カ月、アントン・ヘーシンク(オランダ=64年東京五輪無差別級金)が30歳6カ月で金メダルを獲っていますが、この上限年齢とほぼ一致します。世界選手権では79年無差別級銀メダリストのビタリ・クズネツォフが当時の報道では39歳でしたが、実は41歳であるという説がありました。ですが最近見つけたオリンピック関連のデータベースによると当時38歳10カ月ということになります。
日本人に限って調べると、男子の最年長金メダリストは内柴正人30歳54日(08年北京五輪66㎏級金)、最年長メダリストは32歳の誕生日前日にメダルを獲った野瀬清喜(84年ロス五輪86㎏級銅)。女子の最年長金メダリストは上野雅恵29歳209日(08年北京五輪70㎏級金)、最年長メダリストは32歳338日の谷亮子(08年北京五輪銅)となります。日本人についても世界と大差なく、30~32歳位がメダリストの上限年齢であることが分かります。
◆高齢者の「達人伝説」は嘘なのか?三船久蔵十段の実力
昔の武道には、年配の熟達者が血気盛んな若者を手玉に取るという逸話はそこら中に溢れていました。これらの話は「競技」とは無縁の伝承の世界の出来事ではありますが、一考の価値があると思います。特に「剣」(剣道・剣術)や「拳」(空手・拳法)、「気」(合気道・合気柔術)の世界にはこの手の話が多いですが、今回は柔道に絞って論じようと思います。
柔道史上の伝説的な達人といえば真っ先に名前が挙がるのは三船久蔵でしょう。小柄な体格ながら「空気投げ」などの新技を編み出し最高位の十段を授けられ、「柔道の神様」と崇められました。現在でもネットなどで晩年の三船十段の稽古風景の映像を見ることができますがその神技は凄いの一言、本物の達人と言っていいのではないかと思います。
ですが、三船十段についてよくよく調べてみると60歳代にさしかかった晩年には主に自分の弟子筋とばかり稽古していたようで、佐藤金之助、伊藤四男、白井清一、曽根幸蔵、姿節雄などの著名な直弟子や、さらにその弟子に当たる孫弟子との乱取りがほとんどだったようなのです。当時の三船十段の取り巻きはいわば三船ファミリー化していました。弟子が先生に勝つわけにはいきません。ましてや三船十段は「老人童(わらし)」のような性格で、相手が技を受けないと機嫌が悪くなったという話さえ伝わっていますから三船門下の中では十段と乱取りをする際には投げられるというのが暗黙の了解事項であったのではないかと思われます。著名な柔道家・小谷澄之十段は、「三船先生の稽古は一種特別で、ヤアーと先生がいったときには、弟子は飛ばないといけない。そういう稽古でした。お弟子さんあたりは上手にそれをやる」と語り、うまく飛ばないと怒られるので、怒られちゃ割に合わないので自分は1、2回しか三船十段と稽古をしなかったと述懐しています(これが講道館柔道だ 杉崎寛 あの人この人社 1988年6月)。
三船十段は壮年期には直系の弟子筋以外とも稽古をしていたようですが、その頃には三船が不覚を取ったという話がいくつかあります。牛島辰熊が25~6歳の全盛期の頃、大勢が見守る中、21歳年上の三船との乱取りで花を持たせて投げられたところ、三船はその後は乱取りに応じなくなったとのことです。牛島は「勝ち逃げ」されて恥をかかされたことを根に持ち、3カ月もつけ狙って、やっと乱取りを承知してもらい、組んだ途端に送り足払いで投げつけたという逸話が残っています(琥珀の技 三船十段物語 三好京三 文藝春秋 1985年10月)。
その一方で三船十段の実力を称える証言も数多く残っています。特に全盛期の三船を知る関係者からは「三船久蔵批判は先生の若い時を知らない人」だからという評もあります(拳聖澤井健一先生 佐藤嘉道 気天舎 1998年4月)。講道館最強と言われた徳三宝は「野中の一本杉」とあだ名され当時としては巨躯でしたが、若かりし頃、4歳年上の三船に稽古をつけてもらうこと三千数百回に及んだが、ただの一度も三船を投げることができなかったと徳三宝自身の稽古帳に記されています(武道の理論 南郷継正 三一書房 1972年1月)。石黒敬七八段に至っては、「ぼくは、もし三船十段全盛のころなら、かならず十段はなんらかの奇技妙手を考案して、ヘーシンクに勝ったのではないかと思う」とまで語っています(琥珀の技 三船十段物語)。
◆現役トップ選手を手玉に取った牛島辰熊と木村政彦
強かったといえば、「史上最強の柔道家」木村政彦と、その師・牛島辰熊の壮年期の強さは際立っていたと言われています。牛島・木村が直接指導した拓殖大学の教え子の中からそのような話が出るのは想定内ですが、50才を越えた牛島が出稽古で明治大学に赴いた際に、当時の学生柔道界の第一人者・神永昭夫(後に全日本選手権優勝3回、東京五輪無差別級銀メダリスト)を寝技で圧倒したという驚くべきエピソードを残しています。神永は「手も足も出ずまったく子供扱いにされました」という信じられないコメントを残しています(近代柔道 2006年2月号)。
木村政彦などは立ち技でも全日本クラスの学生を寄せ付けなかったといいますが、高齢者が若手現役選手を手玉に取ったという話は寝技の稽古など条件を限定した勝負の中では日常茶飯事の出来事であったようです。寝技は技術と年季が物を言うので、年をとっても衰えないというのがその理由として挙げられます。木村は後に全日本王者になった直弟子の岩釣兼生や東京五輪メダリストのロジャース(カナダ)、キクナーゼ(旧ソ連)といった現役バリバリの選手さえも寝技で圧倒したことが、作家・増田俊也さんの木村政彦本などに書かれています。ジャンルは異なりますが、アントニオ猪木も「倒してしまえばどんな相手にも負けないという自信は、53歳になったいまでも、いささかも揺らいでいないよ。その根拠は『寝技の世界は、体力よりも感性と経験が優る』からなんだ」と述べています(闘魂戦記アントニオ猪木 木村光一編 KKベストセラーズ 1996年5月)。このように「寝技の強い高齢者」は格闘技界にはゴロゴロいるのです。
◆柔道はなぜ高年齢のチャンピオンが誕生しないのか?
プロボクシングや総合格闘技では30歳代後半から40歳代の高年齢のチャンピオンが頻繁に誕生しますが、柔道はどうなのでしょうか?
戦前戦中派の柔道家の中には、現在ではあり得ない年齢の選手が活躍した例もあります。戦前は比較的高年齢の選手が多かったようですが、田中宗吉が31歳で柔道を始めて42歳の時に1936(昭和11)年の全日本選士権成年前期(38歳~44歳未満)で優勝を飾っているのが非常に目を引きます。戦後では伝統の全日本選手権の史上最年長の出場選手は1948(昭和23)年大会の神田久太郎の50歳(53歳説もあるが誤報)、史上最年長の優勝選手は1955(昭和30)年大会の吉松義彦の34歳です。1956(昭和31)年の第1回世界選手権では30歳の夏井昇吉が、35歳の吉松義彦を判定で降して優勝しています。
しかし現代の競技柔道のチャンピオンは大部分が20歳代であり、30歳代のチャンピオンは非常に稀にしか誕生しません。高年齢の王者が現れない理由は何なのでしょうか?最大の理由は競技方法とルール・戦術の変化だと思います。
柔道の大会はプロボクシングや総合格闘技とは異なりトーナメント戦です。少なくとも5試合を勝ち抜くスタミナがなければ優勝の栄冠は掴めません。ワンマッチで勝敗を競うのであるなら、ベテラン選手はもっと活躍できるでしょうが、トーナメント戦ではそれが非常に難しいのです。
さらに国際柔道連盟(IJF)は2009年1月からIJFワールド柔道ツアーを施行しており、それ以降のオリンピックの出場権はこのポイントによって決定されることになりました。出場権が得られるのは、獲得したポイントのランキングに基づき、男子は上位22位まで、女子は上位14位までと決められています。ですのでポイントを稼いでランキング上位に入るには、毎年最低でもポイントの対象となる国際大会に2~3回は出場し続けなければなりません。さらには国際大会に出るためにはその資格を得るために国内の大会にも出なければならないので体を休める暇がありません。これでは疲れが溜まりやすく、何らかの故障を持つベテラン選手は非常に不利になります。
それからこれはあまり大っぴらにはなっていませんが、長年国際試合で大きな実績を出し続けているベテラン選手は別ですが、実績の乏しい選手や優勝から遠ざかっている選手が28歳を過ぎてから国内で活躍し出しても、国際試合強化選手には選ばれにくいという実状があります。「28歳」という年齢には根拠があります。男子が強化選手を選出する講道館杯への出場資格を得るには実業団、警察の大会などでベスト4に入る必要がありますが、28歳に達する選手は優勝しなければ講道館杯へ出られませんでした(講道館杯大会当日28歳未満の選手のみベスト4で出場可能)。2年前にその年齢制限は撤廃されましたが、現在でも強化委員会は強化選手に28歳を過ぎた選手を選ぶよりは、将来性のある若手を選ぶでしょうから、事実上の年齢制限は行われていると思います。
そもそも日本柔道は平均的な競技レベルで言えば、世界中でダントツのトップレベルですので、ベテラン選手が国内で勝ち抜いて世界の舞台に出て行くこと自体が困難です。韓国などは階級によっては日本を超える実力の選手も出てきていますが、平均的な競技レベルや層の厚さという点で言うと、まだ日本の足元にも及びません。今後も熾烈な日本国内の競争を勝ち抜いて、30歳を過ぎたベテラン選手がオリンピックで金メダルを獲得する確率は非常に低いでしょう。
◆クラシック柔道からハイスパート柔道へ変質
ルールや戦術面では、現在の国際ルールでは、すぐに「指導」が与えられますので、勝利を得るためには短い制限時間の中で「先に組む」「相手の組み手を切る」「先に技を仕掛ける」「相手に技を仕掛けさせない」「間断なく連続的に攻撃する」ことが必須条件となります。またリスクを冒して「一本を狙う」よりは軽微な「ポイントを狙う」方が戦術として安全策であると考えられる傾向があります。
アテネ、北京五輪2大会連続金メダリスト・谷本歩実の最大のライバル、ロンドン五輪金メダリストのリュシー・デコス(フランス)は素晴らしい技術を持った名選手ですが、そのデコスでさえもこう語っています。「勝つことと一本をとることは全く別なことなのです。それに気がつかないと、きれいな柔道をしても勝てません。結局、指導(反則)を累積していく柔道に負けちゃうんです」(日本の柔道 フランスの柔道 溝口紀子 高文研 2015年2月)。
日本選手でも、秋山成勲や石井慧などは、一本勝ちに固執しないという心構えを明言していました。秋山は「誤解を恐れずに言うなら、『一本にこだわる』というのは、ある意味、低レベルな話だと思う。(中略)『一本の美学』の素晴らしさは、分かっているつもりだ。ただ、それに固執して、試合に負けてもいいのか?勝負に勝つことを優先させて何が悪いのか?ということだ。『勝つのが一番、勝ち方は二番』あらゆるスポーツ競技において、僕は、そう思っている」(ふたつの魂 KKベストセラーズ 2009年4月)と書いており、石井は「一本を狙っていくというのは、たぶん、よくないと思いますね。競ってくると、なかなか一本なんて取れないので。だいたい、どうして勝つんだろう、どうやって勝つんだろうという中での延長の一本」(FNNニュース 2012年11月1日)と語っています。
そのため現代の柔道の主流のスタイルは一本を狙うより手数で攻める「ハイスパート柔道」と化しており、じっくり組んで機をうかがって切れ味鋭い技を繰り出す「クラシック柔道」は通用しにくくなっています。昔の柔道が長距離走とするならば、現代の柔道は短距離走です。ハイスパート柔道では、スピード・パワー・スタミナといった身体能力の高い選手が有利ですので、どうしても年齢の若い選手が有利になってしまいます。特にスピードが最重要視される軽量級では30歳を超えた選手が世界の頂点を極めるのは至難の業だと思われます。
もう一つ、井上康生全日本男子監督が面白いことを言っています。井上監督はまだ38歳ですので、母校・東海大学の指導の現場で学生選手に乱取りで「胸を貸す」ことがあるとのことですが、かつての王者といえども頻繁に投げられることがあるそうです。その理由として井上監督は「攻撃力は落ちないと思うんです。感覚的なものでやっているので。だけど、受けをやっていないと落ちるなと」と「受け」の衰えを指摘しています(日刊スポーツ 2016年2月5日付)。つまり相手の技を受ける際の耐久力が低下して投げられやすくなるということなのですが、現代の柔道はきちんとした綺麗な技ではなくとも、もつれて畳に背中が着いただけでも一本となってしまう「背中着けゲーム」全盛時代です。井上監督の言う通りだとすると、年齢が高くて稽古量の少ない選手は「受け」をやる機会が減るので、すぐに畳に背中を着いてしまい勝つことが難しくなるというのは道理です。
以上が私が考える現代の競技柔道で高齢選手が活躍できない理由ですが、仮にも「武道」を名乗るのであれば、20歳代の選手しか活躍できない柔道というのは非常に寂しいものがあります。「武道では年齢は関係ない」というのが建て前ですから。
柔道界きっての理論派で寝技の達人である柏崎克彦さん(80年世界王者)は「チャンピオンスポーツの特徴というのは年齢制限があるということ。だから早熟じゃないといけないんです」(ゴング格闘技 2010年12月号)と語っています。
柔道界には40歳を過ぎても稽古の場で強い柔道家は今でも探せばそれなりにいるとは思いますが、競技の場に限っては、たかだか30歳を過ぎた選手が通用しないという摩訶不思議な世界なのです

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