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旭区をめぐる5つの物語(相鉄瓦版) 262号 2019.9
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八重樫東 ブロボクサ—
「八重樫家のお父さん」でいられる場所
結婚を機に旭区に移り住み、3度の世界王座を護得したプロボクサ—の八重樫さん。そんな八重樫さんに、地元の人たちや旭区への思い、ボクシングに対する考えなどを伺いました。
僕は高校時代にボクシングを始め、大学3年生のときにプロになる決断をします。そして、翌年に大橋ボクシングジムに入門しました。当時はジムが横浜中央卸売市場の近くにあったため、僕は東京都内にあった大学の寮を出て、栄町(神奈川区)のアパートで暮らし始めました。その後、ジムが平沼橋(西区)に移り、僕も和出町(保上ヶ谷区)に引つ越しました。そして、2010年に結婚し、万騎が原(旭区)に越してきました。
二俣川駅の南口からこども自然公園に続く 一本道を進んでいくと、途中に西店街があります。僕ら家族が住み始めたのは、その中の1軒です。隣がお茶屋さんで、ご主人の佐々木明男さんにはとてもお世話になりました。僕や妻が忙しいときには、よく子どもを預かっていただきました。子どもたちも佐々木さんのことを「おじいちゃん」と呼び、厚かましくも自宅とと同じようにお茶屋さんに出人りするようになりました。僕も妻も岩手県出身で、旭区に親類はいません。そうした中、何かと親身になってくださる佐々木さんをはじめ近所の方々の存在はとてもありがたかったです。
佐々木さんは長らく万騎が原連合自治会会長などを務めた、とても顔の広い方です。僕も、佐々木さんの紹介でさまざまな方と知り合うことができました。そんな佐々木さんの薦めもあって、2013年には旭区の一日区長をを、2014年には旭警察署の一日警察署長を務めました。また、2016年には旭区艮賞を授リされました。そうしたことに対しておこがましい気持ちもありましたが、地元の方に認められたようで誇らしかったです。
僕は2009年6月に日本ミニマム級王座を獲得し、3度防衛します。そして、2011年10月にWBA世界ミニマム級座に挑戦し、初めて世界王座を獲得しました。結婚して旭区に移り住んだのは、日本王座を防衛している時期に当たります。戦績だけを見ると、順調にキャリアをねているように思えるかもしれません。でも、当時はよくケガをしていて、ボクシングに対するモチベーションも少しドがっていました。実際、ジムの人橋秀行会長から、結婚を機に引退を勧められたこともあります。しかし、家族や近所の方々の支えとファンの声援のおかげで、ボクシングを続けることができました。
2013年4月にはWBC世界フライ級王座に挑戦し、2度目の世界王座にに就くことができました。実はこの時期にも再び引退の文字が頭をよぎるようになり、妻とも岩手に帰ろうかと話すようになっていました。プロデビュー後に勝利を重ね、わずか7戦目で世界王座にに挑戦できました。でも、その試合で負けただけでなく、大きなケガを負ってしまいました。それ以降もボクシングを続けることができたのは、「八重樫の試合が見たい」といってくださる方々がいたからです。ただし、そうした声があっても、致命的なケガを負ってしまえば選手生命が絶たれてしまいます。2013年2月で30歳になった
こともあり、「潮時かもしれない」と考えるようになっていたのです。
普段、自宅でボクシングの話をすることはありません。よほどのケガがない限りは試合翌日も僕が朝食をつくり、いつもと変わらない会話をし、子どもたちを学校に送り出します。でも、2度目の世界王座に挑戦する前は、ややナーバスになっていました。対戦相手の五ト嵐俊幸選手とはアマチュア時
代に4度戦い、いずれも負けています。そうしたことも影響したのか、あるとき、長男に向かって試合への不安を口にしてしまいました。すると、まだ小学校低学年だった息子が「勝てると思ったら勝てる」といったのです。生いきなことをいうなと思いつつ、ふっと気持ちが軽くなりました。そんな息子の励ましもあって2度目の世界王座に就くことができ、さらに2015年刃にはIBF界ライトフライ級座を獲得できました。
僕がプロボクサーとしてのスイッチを入れるのは、ジムに向かうために相鉄線に乗り込んでからです。電車内でスマートフォンを利用して海外の選手の試合動などを見ながら、気持ちを高めます。現在、大橋ボクシングジムは鶴用町(神奈川区)にあり、相鉄線の横浜駅から歩いて10分ほどです。僕は買い物などで寄り道をすることは一切ありません。真っすぐジムに向かい、そのまま練習に入ります。練習後も寄り道せずに相鉄線に乗り、最寄りの駅で降りると「八重樫家のお父さん」に戻ります。一方、近所の方々もプロボクサーだからと特別視することはありません。
わが家は旭区内で2度引つ越しましたが、いずれも最初に住んだ家からそれほど遠くない場所でした。幾つか理由がありますが、何より長男が転校することになったらかわいそうだと思ったからです。長男が小学校を卒業するまでの6年間、僕は旗当番を務めました。生徒の登下校時に通学路で安全を
見守る保護者の役割です。家庭での朝食づくり同様、よほどのケガがない限り試合翌□も旗当番に立ちました。目立つケガがあるときは心配されることもありましたが、大抵は生徒も保護者も普段通りにあいさつして通り過ぎました。僕は、プロボクサーだから、世界チャンピオンだからと、特別扱いされることが好きではありません。それよりも、素の自分、「八重樫家のお父さん」として接してくれる方が居心地良く過ごせます。ですから、零身大の自分を受け人れてくださった地元の方々にとても感謝しています。
現在、30代後半に差し掛かり、プロボクサーとして先が長くないことを自覚しています。日々の練習に真摯に取り組んでいるだけで、特に明確なゴールは想定していません。ただ、これまで支えてくださった旭区の皆さんに恥じず、自分でも悔いのない最後を迎えられたらと思っています。(談)
やえがしあきら•1983年、岩手県生まれ。高校時代にボクシングを始め、拓殖大学を経て2 005年3月に大橋ポクシングジ厶からプロデビュI。2009年6月' 日本ミニマム級王座を獲得。2011年月にWBA世界ミニマム級王座を' 2013年4月にWBC世界フライ級王座を'2015年月にIBF世界ライトフライ級王座を獲得。最新情報は大橋ボクシングジ厶のホ —ム ペ—ジを。
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