2018年8月18日土曜日

世界戦にも匹敵するほど、激しく美しい戦い

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THE PAGE  2018.08.18 06:00

激闘王・八重樫が逆転TKOで引退か世界かの究極の選択マッチを制す!

プロボクシングの元3階級王者、八重樫東(35、大橋)と元WBOアジアパンパシフィック・スーパーフライ級王者の向井寛史(32、六島)のスーパーフライ級ノンタイトル10回戦が17日、後楽園ホールで行われ、大激闘の末、八重樫が7回2分55秒、TKOで勝利した。大橋秀行会長がタオル投入を考えたほどの劣勢からの逆転勝利。日本人初の4階級制覇に向けて、大橋会長は、この試合のダメージがないことを条件にGOサインを出した。一方の向井は試合後、引退を示唆した。またOPBF東洋太平洋フェザー級王者の清水聡(大橋)も、同級10位の河村真吾(堺東ミツキ)に4回TKO勝利した。

 
試合前、大橋会長から八重樫にラインが入った。
「悔いなく出し切ろう」
 キャリア14年目で、こんなことは過去に一度としてなかった。
「そこまで鈍感じゃないんで。ピーンときた。覚悟しました。負けたら、僕が言う前に会長が引退です、と言うだろうと」
 負ければ引退――。八重樫は、そのラインに込められた意図を察知した。

 一方、向井側の青コーナーの後方には、南京都高ボクシング部の同級生、WBA世界ミドル級王者の村田諒太(帝拳)がいた。村田の後援会が30枚分のチケットを買って応援にかけつけていたのだ。村田は5月20日に向井の結婚披露宴に出席。「これで負けたらおまえも進退を考えなあかんな」と引退勧告を送っていた。高校時代は、村田が主将で向井が副主将。練習欠席を巡っての誤解もあり、しばらく口も聞かない時期もあったが、その関係も修復され、向井の運命の一戦に村田はやってきた。
「入場のときから(村田の)声が聞こえてました」
 向井もまた覚悟を胸にリングへ向かった。
 勝てば世界へ。負ければ引退。究極の選択マッチである。

 第1ラウンド。八重樫の動きが固い。サウスポー向井の距離だ。右のリード、左ストレートが冴えた。だが、第2ラウンドに入ると、八重樫が強引にその距離を潰しに前に出て来た。5年前に、同じくサウスポーの五十嵐俊幸のWBC世界フライ級王座に挑戦した際に徹底した韓流ファイトである。名世界王者、張正九(韓国)がイラリオ・サパタ(パナマ)からWBC世界ライトフライ級王座を再戦で奪い取った試合の映像を何度も見て五十嵐戦に臨んだ。真っ直ぐに懐に入ろうとすると被弾のリスクがあるため、左へ動こうとする相手に対して左のフックをひっかけるようにして相手の動きをロック、自分の頭を相手の懐へ押し込むインファイト戦法。 今回も、サウスポー相手のスパーリングで、その韓流ファイトを思い起こして反復してきた。 
 ぐっちゃぐっちゃのインファイトになると、もう八重樫ペースである。

 だが、向井は左ボディに活路を見出す。脇腹へのレバーブローではなく正面からみぞおちを狙うストマックブロー。八重樫の前進が止まった。一進一退の攻防が続いていた激戦の流れは、第6ラウンド、向井に傾きかけた。八重樫が入ってくるところに打ち込む向井の右左のストレートが顔面をとらえはじめた。
「タオルを入れることも考えた」とは、試合後の大橋会長の回想。八重樫は、防戦一方の棒立ちになり、両目の上が赤く腫れてきた。向井は、ラッシュを仕掛ける。残り時間を把握する余裕もなく、一気にたたみかけようとした。そのときだった。八重樫の右が大逆転のカウンターとなって火を噴く。もろに食らった向井の足に電気が走った。元々打たれ強い方ではない。その足元がもつれた。

「あの右は見えなかった。まとめようと、ピッチをあげたところだった。足にきた。ピンチをチャンスに変えられるのが、3階級を制覇した王者だとも思った」

 一方の八重樫もここが勝負だと踏んだ。
「メンタルが弱っていると感じた。やべえなというラウンドだったが、いいパンチが当たったので、次は取り返そうと、しっかりと打ちに行った。こっちも苦しいが勝負をかけようと」

 7ラウンドに入り八重樫が再び右の一発を狙いすますと、向井は、ふらふらと後ずさりした。八重樫が追い詰める。最後はロープを背負わせて猛ラッシュ。リングサイドからは、村田が大声でハッパをかけたが、同級生にその声は届かない。腰を折り、目もうつろな向井は、立ったままだったが、レフェリーが反撃の意思がなくなったことを確認すると間に入りTKOを宣告した。八重樫は両手を掲げて雄たけびを上げ、レフェリーに抱えられるようにキャンバスに崩れた向井は、仰向けになったまましばらくリングを動けなかった。1774人で埋まった後楽園は総立ちになっていた。

 史上最高のノンタイトルマッチの名に恥じない激闘は紙一重の勝負でもあった。
 試合後、八重樫はKOラウンドを「8ラウンド」と間違うほど。向井は、眉間と左目上に大きな絆創膏を張る応急処置を受けた。
 大阪帝拳から大橋ジムに移籍した中澤奨の試合を次男のボクサー、寿以輝と共に見にきた元WBC世界バンタム級王者、辰吉丈一郎が言った。
「キャリアの差やな。八重樫君は勝ち方を知っている」
 3階級制覇した八重樫は過去に世界戦を13試合も経験している。対して向井もシーサケット・ソールンビサイ(タイ)戦など世界戦を2度戦い、タイ、香港と海外のリングも経験してきたが、修羅場の数の差は歴然だった。勝利を手にしかけながら後一歩をつめ切れなかった向井と、その一瞬の空白を見逃さなかった八重樫。八重樫陣営の松本好二トレーナーは、途中、強引な前進を止めて距離を変えた八重樫の対応力を「八重樫が感性で変えた。でも、あの距離で、途中やったことが6ラウンドの右のカウンターにつながったと思う」と逆転劇の背景を説明した。
 
 大橋会長は「感動しました」と頬を緩ませ八重樫の凄まじい練習量を称えた。

「もうレジェンドなんだから、常に1試合、1試合が、負ければ最後という戦いになる。だから、悔いのないように八重樫らしくいってもらいたいと試合前にラインをした。清水もそうなんだけど、2人の練習量が凄い。真面目で、あそこまで自分を追い込む姿は見たことがない。年齢がいくと練習量は落とすものだという観念を吹き飛ばした。今、八重樫は、キャリアで一番練習しているんじゃないか。大橋ジムの若い選手が、それを見ている。彼らはそういう選手にとっての鑑となっている」

 35歳。過度なフィジカルトレーニングで腕の筋肉に炎症を起こし肘が曲がらなくなったこともあったという。それでも八重樫は「量をこなさないと質も伴わない。これまで1やって避けられたパンチが避けられないのであれば10やらないとダメ。そのおかげで自分自身に伸びシロを感じるし、やることがまだまだあると感じる。やることがなくなったら終わり。僕なんかまだまだ」と、独特の哲学を語った。

 八重樫は究極マッチに勝ち残った。「6ラウンドの打たれ方が心配」という大橋会長は、八重樫にMRI検査を義務づけ、異常がなければ4階級制覇への挑戦へGOサインを出す。

「4階級への挑戦?もちろん。実際オファーがあったしね」

 現在、スーパーフライ級には、各団体共に強豪王者が揃っている。井上尚弥(大橋)が返上したWBO王者こそまだ空いているが、ミニマム級時代に統一戦を戦った井岡一翔(SANKYO)も同じく4階級制覇を狙って復帰、9月8日に米国ロスで開催される「スーパーフライ3」に出場し“世界前哨戦”としてマクウィリアムズ・アローヨ(プエルトリコ)と戦うことも決まっている。
「正直、誰もが強い。自信はない。でも自信をつけてからやるのでは遅い。相手は誰でもいいのでやりたい」

 史上最高のノンタイトル戦を勝ち抜いた“激闘王”には未来が開けた。
「ボクシングは最高。そのボクシングを続けられるのは幸せだな、とつくづく思うんです。あと、もうちょっとだけ、そのボクシングをやらせて欲しい」
 プロ通算33戦目を終えた八重樫の言葉は重たかった。

 対する向井は、「ちょっと休んで考えます」と進退についての決断を保留した。
 だが、こうも言い、引退を示唆した。
「八重樫さんのパンチは、それほどでもなかったんです。だから、大丈夫だと、自分で天井を決めてしまったのが間違いだった。気迫が八重樫さんの方が強かったのでしょう。この試合は財産にはなる。でもシーサケットともやり、3階級王者ともやり、世界がどんなものかを僕はわかっている。正直(世界再挑戦は)厳しいと思う。ひざが悪くて、ロードワークも満足にできていなかった。その走る量の差も出たと思う。ああしておけば、という後悔もあるが、今の気持ちはスッキリしている」
 傷だらけの姿で後楽園ホールを後にするとき、向井は、その黄色いビルを振り返って独りごちた。
「後楽園……日大時代のリーグ戦以来だったけど満員のお客さんの前で戦えて最高に楽しかった」

 30代のボクサー2人が人生をかけたノンタイトル戦。それは世界戦にも匹敵するほどに、とても激しく美しかった。

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