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スポーツ報知 2016年1月29日15時0分
【BOX】王者・八重樫東は熱きパパ「食べ物、粗末にすると怒ります」
プロボクシングIBF世界ライトフライ級王者・八重樫東(あきら、32)=大橋ジム=が復活し、三たび世界戦線に戻ってきた。昨年12月29日に激しい打ち合いを制し、王座返り咲きと世界3階級制覇を達成した。柔和な笑顔が特徴の王者は家に帰れば3児のパパ。“イクメン”と世界王者の2つの顔はどちらも猛烈だ。ファンをひきつけ続ける八重樫の真っすぐな気質に迫った。
昨年末に世界王座返り咲きを果たした翌日、両まぶたが大きく腫れ上がった八重樫に、まな娘がニコニコと笑い、近寄ってきた。次女・一永(ひとえ)ちゃん(2)が「父ちゃん、お目々、痛い痛い?」と小さい手で触れてきた。
「世界戦に備えて1か月以上、家族と離れてジム近くのマンションで暮らしてました。僕が帰ってきただけで子供たちはうれしかったみたい。まぶたが腫れて怖い顔のはずなんですけど、お構いなしでした」
勝利の安堵(あんど)感に浸れる心地よい痛みが広がった。「男の勲章」を作った昨年末のIBF世界ライトフライ級タイトルマッチは、前王者のハビエル・メンドサ(メキシコ)と壮絶な打撃戦を繰り広げた。
「試合開始から打って打っての繰り返しで、中盤に『あー、疲れた』と動きが止まり、パンチをたくさん浴びてしまった。でも、まだ足は動いたので希望は捨ててなかった」
後半に力を振り絞り、再び動き出して混戦を抜け出した。強打とタフネスを武器にするメンドサを判定で退けた。1年3か月ぶりに世界のベルトを巻くとともに亀田興毅、井岡一翔に続いて日本人3人目の世界3階級制覇も成し遂げた。
「もう一度、世界王者になりたかった。語弊があるかもしれませんが、負けていたら、自分の商品価値はなくなると思った。無残な姿を見せて『もうやめておけ』という声が多くなれば身を引いてます。おととしの末にKOで負けていて、商品価値を再び上昇させるには、今回の試合に勝つしかなかった」
2014年末にも同じライトフライ級で世界挑戦したが、ボディーに一発のパンチを食らい、KO負けを喫した。屈辱的な負け方に「引退」の2文字をリアルに感じた。自分のために戦う。ただ、進退を家族の存在を抜きにして考えることはしない。
「以前、ボクシングを続けるかどうかを聞いたら、妻(彩夫人)は『続けたいなら任せます』と言ってました。圭太郎(長男・10歳)には以前から、引退したら僕が(故郷の)岩手に帰るかもしれないと言っているので、自分が引っ越したくないから続けてほしかったようです」
3児のパパは主夫でもある。夫人と分担し、家事全般をこなす。かつてラーメン店「大勝軒」でのアルバイトで鍛えた料理の腕と、一人暮らしで身につけたマメな掃除が武器。娘たちを登園させ、朝の家事を終えるとロードワーク。午後からジムに足を運んで猛練習に取り組む。息つく間もない。
「朝は戦争です。自分か妻が朝食を作り、手の空いている方が志のぶ(長女・5歳)と一永の登園準備をします。少しでも目を離していると何かしらイタズラをするので…。よく叱りますよ。食事中に子供たちが泥遊びみたいにして食べ物を粗末にしたりするとすごく怒ります。仕事柄なのかな。ボクサーは仕事の一環、減量で食べ物を口にできない時もありますよね? 食べ物への執着が強いんだと思います」
物腰の柔らかい男だが、幼少時は違ったという。岩手県北上市で生まれ育った八重樫は、1歳上の兄と3学年下の弟に挟まれた3兄弟の真ん中だ。
「小さい時は落ち着きがなく、イタズラっ子だった…みたいです。全く覚えていないですが。実家の近所の人は『あきら君はよく柱にくくり付けられていたね』と。今年、実家の母宛てに、僕の小3~4年時の女性の担任から年賀状が届きました。空っぽのランドセルで登下校する教え子のことが書いてあって、先生が生徒に『そんなことをする子でも、将来すごい人になったりする場合もあるんだよ』と諭したそうです。『そんなことをする子』は昔の僕のことなんですって。だから自分を棚に上げて、息子を怒れる立場にはないんです」
「父ちゃん!」と呼び、八重樫を尊敬する圭太郎君は離婚経験のある彩夫人の連れ子だ。同郷で高校時代から互いを知る八重樫と夫人は約1年の交際を経て2010年10月3日、圭太郎君の5歳の誕生日に結婚した。だが、当初はなかなか叱れなかったという。
「初めて会った日、一緒に風呂に入ったりして圭太郎は人懐っこかった。結婚前から3人で同居していた時も怒る際は言葉を選んでいた。きっかけはないけど、結婚する頃には叱れるようになった。ちょうど、その年、僕はけががちであまり練習ができず、圭太郎と一緒にいられた。時間というか、自然の成り行きでした」
家族の絆を知った男は強い。結婚から1年後の2011年10月、2度目の世界挑戦でWBA世界ミニマム級王座を奪取し、初めて世界の頂点に。そして翌12年6月に、当時WBC同級王者の井岡一翔との日本史上初のチャンピオン対決のリングに上った。判定で敗れたが、両まぶたを腫らせて食い下がった雄姿は感動を呼んだ。
「本来、負けた試合は何の意味を持たないはずだけど、井岡君には感謝している。世間が八重樫というボクサーを少しだけ見てくれた瞬間だったし、上のステージに行くために成長できた試合だった」
“出世試合”から1年に満たない翌13年4月に再びチャンスが訪れ、WBC世界フライ級王座を獲得。14年9月の防衛戦で軽量級最強のローマン・ゴンサレス(ニカラグア)に9回TKOで沈められた。しかし、最強挑戦者にも真っ向勝負をかけた姿勢は称賛され「激闘王」の愛称も定着した。
「(同門の後輩でWBO世界スーパーフライ級王者)井上尚弥は圧倒的な試合をして周囲を驚かせることができるボクサーです。自分にはそんな力はない。打たれても打ち返し、タフな試合をして、最後に自分の手が上がればいい」
強い者から逃げず、負けても潔く受け入れ、そして何度でも立ち上がる―。多くの人たちを引き寄せる八重樫も来月25日で33歳。円熟期に差し掛かるファイターはどこに行くのか。
「一昨年末にKOで負けるまでは『組まれた試合は勝つだけ』と考えていた。今は『こいつとやったら結果はどうなるか分からない』という試合をしたい。モチベーションが保てるし、その方が僕自身楽しいかな」
小さな巨人は不屈の精神と飽くなき挑戦心でファンの心を揺さぶり続けていく。
◆八重樫 東(やえがし・あきら)1983年2月25日、岩手・北上市生まれ。32歳。黒沢尻工高、拓大を経て2005年3月プロデビュー。11年10月にWBA世界ミニマム級王座を奪取し、初戴冠。12年6月、WBC同級王者・井岡一翔との統一戦で敗戦。13年4月に五十嵐俊幸を判定で下し、WBC世界フライ級王座を奪取。15年12月にIBF世界ライトフライ級王座を獲得し、3階級制覇に成功。戦績は23勝(12KO)5敗。身長160センチの右ボクサーファイター。家族は夫人と1男2女。
◆名前の東は「あきら」です
○…「東」で「あきら」と読む名。八重樫は「今まで初見で読めた人は誰もいません」という。両親が「あきら」という音の響きのよさを気に入り、「偶然、目に付いた」という辞典にも載っていたことから名付けられた。ただ、その話を聞いたのは11年に世界王者になった後。「取材される機会が増えて親に聞いたけど、いまだに『本当かな』という思いがあります」と笑った。
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