https://www.nikkansports.com/battle/news/202009010000704.html
日刊スポーツ 2020年9月1日18時41分
両目腫れても「もともと細い」続行/八重樫3番勝負
ボクシングの元世界3階級制覇王者・八重樫東(37=大橋)が1日、横浜市内の所属ジムで会見し、現役引退を発表した。
<八重樫の激闘3番勝負>
◆統一戦 12年6月20日(大阪府立体育会館)11年にWBAミニマム級王者となり、初防衛戦でWBC同級王者井岡一翔との日本男子初の2団体王座統一戦に臨んだ。序盤から互角も初回で左、3回に右目を腫らしながら打ち合い。左はほぼ見えなくなっていたが、ドクターチェックには「もともと目が細い顔」と訴えて続行。最後までリングに立ち続け、判定負けも1、2ポイントの小差だった。
◆無敵相手 14年9月5日(代々木第2体育館)WBCフライ級王者のV4戦で、自ら名乗りを上げて3階級制覇を狙う39戦全勝(33KO)のローマン・ゴンサレス(ニカラグア)と対戦した。3回には左フックでダウンしたが、立ち上がると両拳を当てて、覚悟を決めて真っ向勝負に出た。リング中央でも打ち合って応戦したが、9回にコーナーに崩れ落ちてレフェリーストップされた。
◆偉業達成 15年12月29日(有明コロシアム)3階級制覇に2度目の挑戦で、IBFライトフライ級王者ハビエル・メンドサ(メキシコ)と対戦した。初回から足を使ってリードも、7回に急に足が止まってロープを背負った。インターバルで亡き祖母の遺影を見せられて奮起。王者の反撃にも逃げずに打ち合って、結果的には大差の3-0判定勝ち。日本人4人目の3階級制覇を果たした。
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日刊スポーツ 2020年9月2日7時10分
敗れてなお男上げた八重樫 ファンに思い伝わる激闘
11年10月24日、WBA世界ミニマム級で新チャンピオンに輝いた八重樫(中央)は大橋会長(左)と彩夫人からキスの祝福を受ける。前列は長男の圭太郎くんと長女の志のぶちゃん14年9月5日、9回、八重樫(右)はゴンサレスの左アッパーをまともに受ける八重樫東のプロ全成績
ボクシングで元世界3階級制覇王者の八重樫東(37=大橋)が1日、オンラインで会見し、現役引退を表明した。2月に大橋秀行会長から引退を勧められて決意した。05年3月にプロデビューし、11年にWBAミニマム級、13年にWBCフライ級、15年にIBFライトフライ級の王座を獲得し、日本選手3人目の3階級制覇を達成。どんな相手にも逃げずに激しく打ち合うスタイルから「激闘王」の異名を取った。昨年12月にTKO負けしたIBFフライ級王者ムザラネ戦が、最後の試合となった。通算成績は35戦28勝(16KO)7敗。
16年前、大橋ジムに入門した9月1日、八重樫がグローブをつるした。昨年末に2年半待った世界戦で敗北。「限界は感じていない」としながらも、大橋会長の「もういいんじゃないか」という言葉に決意を固めた。「誇れるのは、負けても立ち上がってこられたこと。悔いはない」。大切にしてきた「懸命に悔いなく」の言葉通り、逃げずに、真っ向勝負を貫いてきた。
思い出の一戦には「あんなに面白かった試合はない」と、14年9月のローマン・ゴンサレス戦をあげた。多くの選手が対戦を避けた強敵を、自ら挑戦者に指名した。どれだけ被弾しても、パンチを打ち返す姿に、会場は異様な熱狂に包まれた。12年6月の井岡戦と同じく、敗れてなお、男を上げた。大橋会長も、練習への愚直な姿勢などを評価し「この15年は奇跡に近い」とたたえた。
実直な八重樫らしく、会見では、終始、丁寧な言葉で思いを語ったが、3人の子どもについて話を振られると、こらえ切れなかった。「あいつらがいなければ、世界チャンピオンにはなれていない…」。涙をぬぐうと、大切な思い出をかみしめるように続けた。
13年4月のWBCフライ級王者五十嵐戦。アマ時代に4戦全敗の相手との一戦に向け、調子が上がらずにいると、当時8歳の長男圭太郎くんに言われた。「負けると思えば、負ける。勝つと思えば勝てるよ、お父ちゃん」。八重樫は「あの声があったから勝てた」と愛息への感謝を口にした。
ボクシングを「自分の人生を豊かにしてくれたもの」と表現した。負けても、また、立ち上がればいい-。その思いは、多くのファンに伝わった。「一生懸命走ってきた。人間なので、転ぶことも、休むこともあった。でも、それでいいと思っている」。山あり谷ありの現役生活に終止符を打ち、今後はジムでトレーナーとして、後輩の指導にあたる。「激闘王」が多くのものを残し、リングに別れを告げた。・・・
https://www.nikkansports.com/battle/news/202009010000921.html
日刊スポーツ 2020年9月2日7時0分
八重樫飾らぬ生き様 優しい笑顔の裏「反骨心」支え
ボクシングで元世界3階級制覇王者の八重樫東(37=大橋)が1日、現役引退を表明した。オンラインの会見では、15年間の現役生活について語ると同時に今後の活動などについても言及した。また、歴代担当記者が、八重樫との思い出を振り返った。
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頑固な人情派。そんな人だと思っている。16年5月のIBFライトフライ級王座のV1戦の2週間前の夜に突然、電話がかかってきた。「明日、時間ありますか? ついてきてほしいところがあって…」。翌日、指定された横浜の中華街に行くと、「引退です」と告げられた。もちろんジョークだったが、左肩甲下筋損傷と左肩関節唇損傷。医師から手術を勧められるほどの大けがを明かされた。
左腕は痛みで横にも動かせず、打てるパンチはジャブのみ。それでも、八重樫は「試合は出ます。それは決めました」ときっぱりと言った。理由は、陰で「ボス」と呼ぶ、大橋会長への思いだった。14年に世界戦で連敗。引退報道も出る中「お前はジムの功労者だ」と再挑戦への交渉に奔走してくれた姿を見ていた。だからこそ「このタイトルだけは特別。興行に穴はあけられない」と腹を決めた。
そんなやりとりを中華街の真ん中でしていると、携帯の画面にうつる、治療院の広告らしき文言を見せられた。「『神の手』でどんな痛みも治してみせます」-。怪しみながらも、八重樫のわらにもすがる思いを感じ、店舗探しを手伝った。だが、“ゴッドハンド”はすでに帰国していた。それでも、3日後には「ハリウッドスターの腰痛を、さするだけで治す人を見つけました」と連絡がきた。
「しがみつく人間にしかチャンスはこない」。左肩をなでながら、自分に言い聞かせるように何度もつぶやいていた。結局、痛みを隠してリングに立った。格下相手に2-1の僅差判定勝ち。試合後の会見でもけがのことは言わなかった。人がいなくなり、記者を見つけると、にやりと笑った。「ひどい内容でも、ベルトが残れば僕の勝ちです」。忘れられない思い出だ。
キャリア終盤、“エゴサーチ”をして、「八重樫はパンチドランカー」「壊れている」というコメントを見つけ、「ぼくのこと、ドランカーだと思ったことありますか?」と興奮気味に聞かれたことがあった。優しい笑顔の裏の反骨心が、「激闘王」の支えだった。好きな言葉は、努力、辛抱、覚悟。飾らない生きざまが、八重樫の魅力だと思う。
https://www.nikkansports.com/battle/news/202009010000635.html
日刊スポーツ 2020年9月2日8時0分
八重樫はグッドルーザー、あご割れようが悲壮感なし
ボクシングで元世界3階級制覇王者の八重樫東(37=大橋)が1日、現役引退を表明した。
オンラインの会見では、15年間の現役生活について語ると同時に今後の活動などについても言及した。また、歴代担当記者が、八重樫との思い出を振り返った。
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3階級世界制覇の偉大な王者の八重樫だが、自分の中ではグッドルーザー(素晴らしい敗者)という言葉が思い浮かぶ。激闘の敗戦後、想像を超えたダメージを負いながらも、さわやかさが漂う。そこに勝負師としての潔さを感じた。
07年6月4日。24歳だった八重樫の世界初挑戦。全盛期のWBC世界ミニマム級王者イーグル京和の強打で、2回にあごを骨折。その後は口も閉じられず、9回以降はマウスピースの交換もできなかったが、セコンドに「最後までやらせてください」と、目で訴え、最終12回まで戦い抜く。試合後は、もちろん話せず、タオルであごをつった。それでも報道陣に笑顔すら浮かべ、あごを割られた王者には頭を下げ、敬意を示した。
12年6月20日、WBA王者として迎えたWBC王者井岡一翔との王座統一戦。序盤に被弾した両目は中盤からみるみる腫れたが、あきらめない。試合を止めようとした医師には「僕はもともと目が細い顔立ちなんです。やらせてください」。判定負けの試合後、両目はほとんど開かず、異様なほど腫れ上がったが、6歳下の井岡に「ありがとう」。ファンにも深々と頭を下げた。翌日の一夜明け会見では、痛々しい見た目と違って悲壮感はない。「子どもたちにはい上がる姿を見せたい」と前を見た。
リングでは「激闘王」の異名通り、絶対に下がらず、捨て身で愚直に前に出て攻め続ける。前述のような大けがと背中合わせだが、そのスタイルを最後まで貫いた。普段は子煩悩で、優しい性格。ボクサーとは思えない、癒やし系の雰囲気を醸し出す。そのギャップも魅力的だった。
https://www.nikkansports.com/battle/news/202009010000842.html
日刊スポーツ 2020年9月2日9時0分
家族と一緒に…引退八重樫東の防具に3人の子供の絵
3人の子供が描かれた八重樫のノーファウルカップ
ボクシングで元世界3階級制覇王者の八重樫東(37=大橋)が1日、現役引退を表明した。
オンラインの会見では、15年間の現役生活について語ると同時に今後の活動などについても言及した。また、歴代担当記者が、八重樫との思い出を振り返った。
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ボクサーが唯一身につけることを許された防具がある。ノーファウルカップ。急所を保護するためにつける。八重樫は拓大時代からのものを使ってきた。この愛用品にも家族愛が表れていた。
モットーの「懸命に悔いなく」。その文字とともに、長男圭太郎くん、長女志のぶちゃん、次女一永ちゃんと3人の子供の絵が描かれている。いつからか、世界戦前は単身でマンション生活を送るようになった。練習、試合に集中するため。子供の絵は3階級制覇後の防衛戦を控え、マンション生活の合間に自らが描いた。
1カ月以上家族と離れ、最初の頃は週末には家に帰っていた。終盤はそれも我慢して、テレビ電話での会話も封印した。「パパ頑張って」という、涙声の留守電が入っていたこともしばしばだった。
試合中は長男の声援が会場にいつも響いていた。勝ったリング上では、彩夫人と一家5人の記念撮影も恒例だった。「子供に引退は言っていない。これからも。試合がなければ分かるでしょう」と素っ気なく言った。何よりもノーファウルカップが、家族を思い、家族と一緒に戦ってきたことを示していた。
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