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日刊スポーツ 2020年2月29日19時0分
リングにかける男たち
大橋会長が八重樫東に引退勧告「激闘王」の決断注目
激闘王が最後の決断を迫られている。大橋ジムの大橋秀行会長(54)が26日、元世界3階級制覇王者八重樫東(37)に引退勧告をしたことを明かした。世界王者同士の師弟関係。長い時間を共有した深い絆は、会長が続けた言葉ににじみ出た。
「あとは本人が考えて結論を出すと思います」
どのような結論を出そうとも、八重樫が歩んできた道が色あせることはない。
逃げない。その姿が見るものの胸を、熱くさせてきた。真っ向勝負の殴り合いから「激闘王」の異名が定着。もういいよ-。思わずそう叫びたくなるような「どつき合い」が、誰よりも似合っていた。
マイケル・ジョーダンに憧れ、バスケットボールに夢中になった中学時代。体の小ささに悩んでいた時に出会ったのがボクシングだった。「これなら言い訳は出来ない」とすぐに夢中になった。フットワークと天性のハンドスピードで素質はすぐに開花し、高校、大学とアマチュアで活躍。だが、飛び込んだプロの世界は甘くなかった。
7戦目でつかんだ世界初挑戦。イーグル京和にあごの骨を折られ、プロ初黒星を喫した。次の世界挑戦のチャンスまで4年待った。その間、進むべき道を見失わなかったのは、同門の先輩川嶋勝重の背中に見たプロとして生き抜く覚悟だった。八重樫にはずっと大切にしてきた川嶋の言葉がある。「最後は気合、根性だ」。
デビュー17戦目のポンサワン(タイ)戦で憧れ続けた世界王座を獲得すると、続く井岡一翔とのWBA、WBCミニマム級王座統一戦で人気に火が付いた。被弾により両目が塞がったまま、本能で拳を出し続けた。殴られたら、殴り返す。思わず目を背けたくなるような感情と、いつまでも見ていたくなるような感情。見るものの心に、2つの異なる思いが同居する異様な光景だった。わずか1試合で王座陥落。だが「打たせずに打つ」というボクサーの理想とは正反対のスタイルに、ファンは熱狂した。
デビューからの戦績は28勝(16KO)7敗。7回負け、その度に立ち上がり、また次の一歩を踏み出してきた。14年9月、当時「最強」と称され、多くのボクサーが対戦を避けたローマン・ゴンサレスを自ら防衛戦の相手に指名。会場の代々木第2体育館は、八重樫が入場しただけで熱狂に包まれた。ロマゴンの機械のように正確なパンチを浴び、何度も倒された。完敗だった。それでも、ファンは、八重樫の勇気がうれしかった。試合終了が告げられると、入場時以上の温かな拍手が八重樫に送られた。
リング上では、笑顔でロマゴンをたたえた。そして、控室に戻ると、長女を抱き上げ、おえつが出るほど泣いた。「お父ちゃん格好悪かったね。ごめんね」。負けた自分は、主役ではない。だから笑ってロマゴンの手を挙げ、控室まで涙を我慢した。試合の前日には部屋を片付け、ひげを剃る。「もう、ここには帰ってこれないかもしれない」。その覚悟があるから、あの戦いができたに違いない。
ロマゴンに王座を奪われ、同年末の世界戦でも敗れた。世界戦2連敗-。誰もが八重樫はここまでかと思った。だが、八重樫はリングに戻った。そして、1年後の15年12月29日。日本人3人目の3階級制覇を達成した。
拓大時代の先輩内山高志のような圧倒的な「強さ」があったわけではない。同学年の山中慎介のような「一撃必殺」のパンチがあったわけでもない。井上尚弥のような「華」があったわけでもない。同じ時代には村田諒太というスターもいた。それでも八重樫は、埋もれることなく、ボクシング界の主役の1人であり続けた。
最後に王座から陥落し、2年以上がたった昨年7月。思うように、世界挑戦が決まらない中、久しぶりにゆっくりと話を聞く機会があった。36歳。年齢からくる体の変化、衰えも素直に口にしていた。だが、闘争心は消えていなかった。
「ネットで自分へのコメントを見てると、本当にむかつく時があるんですよ。『引退した方がいい』とか『パンチドランカーになる』って心配されたり…。そういうのを見ると、みてろよって思うんですよね」
続けた言葉に、八重樫のボクサーとしての本質を見た気がした。
「しがみついている姿を、周りから格好悪いと思われてもいいんです。しがみついて、しがみついて…。でも、必至にしがみついているやつにしか、チャンスなんて絶対にこない。だから自分は、しがみつける力がある限り、とことんしがみついてやりますよ」
19年12月。2年7カ月ぶりの世界戦のリングで、八重樫は負けた。今回ばかりは、潔く……。いや、違う。そんな男なら、ここまで上り詰めることはできなかっただろう。将来を考え、迷いに迷う中で、会長からの「引退勧告」を受けたに違いない。
八重樫のベストファイトは? そう聞かれ、どの試合を思い浮かべるだろう。ロマゴン戦? 井岡戦? 負ける度に強くなり、リングに戻ってきた。負けた試合で名を上げてきた。人生、良い時ばかりではない。倒れても立ち上がる。試合を見た人は、無意識に八重樫の姿に勇気をもらった。
大橋会長が井上尚が世界王者になった当時、何度も繰り返した言葉がある。
「川島の背中を見て育った八重樫がいたから、今の(井上)尚弥がいる」
顔には幾多の縫い跡が残る。大橋会長から引退を勧められた日、八重樫は37歳になった。誰とも違う道を歩いてきた。激闘王は、果たしてどんな決断を下すのか。その言葉を待ちたい。
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