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NUMBERWeb 2019/05/10 16:00
「ポンコツのゴミ捨て場行き」だった男。ボクサー黒田雅之が世界王者に挑む夜。
32歳のボクサーが、人生をかけた世界タイトルマッチに臨もうとしている。
2005年にプロデビューした黒田雅之は、当初は順調に勝ち星を重ね続けたが、いつしか停滞。やがて、ホープとしての輝きは失われていった――。才能溢れる選手達が黒田を追い抜いていくなか、「ポンコツのゴミ捨て場行き」寸前で踏みとどまり、ついに、二度目の世界戦にまでこぎつける。
「ぼくみたいな選手がいてもいいのかなって」と語る男は、今度こそ……。
男は、いまから7年前、井上尚弥の公開プロテストでスパーリングの相手を務めた。日本ライトフライ級王者だった当時25歳は、のちに“怪物”と呼ばれる19歳のホープに「もう少しでKOか――と思わせる“圧勝劇”」(日刊スポーツ)を演じられた。
およそ半年後、男は初めて世界戦に挑み、敗れた。
うだつが上がらない日々は長く続いた。
その間、井上はプロ6戦目で世界王者となり、8戦目で2階級制覇、16戦目で3階級制覇を果たした。
平成は“時短”の時代だったのだとつくづく思う。ボクシング界でも、「早いこと」に価値は見いだされた。
井上は5月18日(日本時間19日)、スコットランドで自身13試合目の世界戦に臨む。会場の多目的ホール「The SSE Hydro」は1万3000のキャパシティがあるという。
男もまた、6年ぶり、2度目の世界戦が近づいている。5月13日の月曜日、場所は後楽園ホール。座席数1400ほどの濃密な空間は、日本ボクシングの聖地ではあっても、世界戦を行うハコとしては寂しいサイズだ。
主役を張る男――黒田雅之の知名度のなさを、それが哀しくも物語っている。
バイト先のコンビニでも気づかれない。
黒田がIBF世界フライ級タイトルマッチに出場することが発表されたのは、2月18日だった。翌19日、スポーツ紙各紙に記事が載った。
黒田は笑う。
「(アルバイト先のコンビニで)毎朝、スポーツ新聞を買っていくお客さんがいるんですけど、一切気づかれないです。全然(ボクシングに)興味がないんだろうなあって」
中学時代、時の世界王者、徳山昌守がワンパンチでKO勝ちする瞬間をテレビで見たのが始まりだった。剣道を続けてきたが、体は小さく細く、だから強くなれないのだと思っていた。だが、徳山の姿に触れて心が動く。
「細身の選手でもノックアウトできるんだ」
学校で「空手部」の文字がうっすら残る古びたミットを見つけ出し、友人に構えてもらって拳を打ち込んだ。
高校生のころ、生活圏内の登戸に「川崎新田ボクシングジム」がオープンした。開設と同時に入門した会員番号「018」は、いまやジムの最古参だ。
最初は順調だった黒田のボクサー人生。
2005年5月のデビュー戦で1ラウンドKO勝利を収めた黒田は、翌2006年にはライトフライ級の新人王にまで駆け上がる。後楽園ホールのリング上でマイクを向けられ、「最終的な目標は世界チャンピオンです!」と初めて公言した。
キャリアはおおむね順調だった。2011年5月、8ラウンドTKO勝利で日本ライトフライ級王者となる。プロ22戦目、戦績は19勝3敗だった。
だが、チャンピオンの称号を得たところから、停滞の日々は始まった。
黒田は言う。
「底の底、ですよね。キャリアをぐっと上げていかなきゃいけないのに、そこからの4回の防衛は、パッとしない判定が2回(ともに2-1)、ドローが2回。『自分ってこんなもんなのかな』って、自信がなくなってきて」
伸び悩みのまっただ中にいた2013年、黒田のもとに世界戦の話が舞い込む。1つ上の階級、フライ級のWBA王者だったフアン・カルロス・レベコへの挑戦が決まった。
オファーを受けたのは、黒田を変えるための荒療治だったのか。問いに、ジム会長の新田渉世はあっさり言う。
「その時期に組んだ狙いは特になくて。挑戦したくてもできない選手がいっぱいいるなかで、挑戦できること自体にすごく価値があるし、できるんだったらやるしかないだろってところです。
もちろん、もっと“満を持して”というほうがいいには決まってるんですけど。チャンスはその時につかまなかったら、次いつ来るか、わからないですからね」
善戦はしたが、0-3の判定で負けた。
ショック療法にもならなかった。
その後の3年間で6戦をこなしたが、3勝2敗1分と、再上昇のきっかけはつかめなかった。
「もう、ポンコツのゴミ捨て場行きになってしまう」
転機となるのは、2016年3月、粉川拓也との対戦だ。
日本フライ級王座を懸けた戦いに、黒田は敗れた。試合を映像で見返し、そこにいる自分に歯がゆさが募った。
「出せば当たる時に手が出てない。『いまここで打っても当たらないだろうな』って、自分で勝手に思ってるんです。あそこで吹っ切れた。試合でやり残しがないようにしようって考えるようになりました」
同じころ、会長の新田も手を打っていた。それまで黒田を担当していたトレーナーの孫創基(ソン・チャンギ)に代わって、会長自身が務めることにしたのだ。
新田は言う。
「新人王、日本チャンピオン、そして世界挑戦までこぎ着けたのは孫トレーナーの力だったし、黒田もすごく力をつけてきた。だけど、その力を(試合で)発揮できないという課題がずっと克服できなかった。
ありとあらゆることをしたけど、年はとる、負けて黒星は増えていく……もう、ポンコツのゴミ捨て場行きになってしまうというところで、これ以上は失うものもないんだから、違うアプローチをやってみよう、と」
「ゴミ捨て場行き」からの復活。
新田は、会長業に加え、日本プロボクシング協会事務局長の仕事に忙しく、ジムで過ごす時間は多くない。おのずと、黒田への指導は「課題を出してチェックしての繰り返し」になり、練習の大部分が黒田自身の裁量に委ねられた。
何も考えずにジムまで行き、トレーナーが指示してくれるメニューをただこなすのではなく、いまの自分には何が必要なのか、粉川に敗れた自分が身につけるべき強さは何なのかを、黒田は考え、実践した。
これが効いた。
「ゴミ捨て場行き」の瀬戸際で立ち止まっていたボクサーが、再び歩み出したのだ。
「お前じゃ金は集まらないだろ」と……。
黒田は言う。
「ボクシング以外のこともいろいろと考えるようになったんです。だいぶ外から自分を見られるようになって、ちょっと柔軟になった。
たとえば、『それは違うよ』ってことを人から言われると、頑固だった昔のぼくはカチンときて、顔や態度にも出てしまっていたけど、いまは『自分の芯の部分が変わらなければ別にいいのかな』って思うんです。自分を騙すっていうか」
他者の意見を一度は腹に落とし込み、納得の表情を浮かべる度量ができた。それがボクシングにも生きてくるのだという。
「1対1の殴り合いの勝負ですけど、騙し合いでもありますから。自分を騙せなきゃ、相手も騙せない」
新田の策もはまった。黒田の頑固さはもろさでもあると見抜いていたから、それをわざと崩しにかかった。
夜遅く、黒田の携帯に電話を入れた。
「外で食事してるんだけど、挨拶してもらいたい後援者の方が横にいるから、いまから出てきてくれ」
かつての黒田は生活リズムを乱されることを嫌い、「あ、いや……」と口ごもっていた。新田は「プロの世界で生きている以上は必要なことだろ。タイソンみたいに強くて営業しなくても億の金が集まるならいいけど、お前じゃ集まらねえだろ」と言って揺さぶった。そんな“意地悪”を繰り返し、黒田は夜中の呼び出し電話に「わかりました」と即答するようになった。
黒田は苦笑する。
「『行きます』って返事すると、会長が『合格』って言うんです。『来なくていい』って。『何時から練習だぞ』と言われて、ジムに行くと会長がいないってこともありました。半分は会長の天然のような気もするんですけど(笑)。
そうやって予期せぬことが起こるのはもう当たり前なんだと思ってます。昔は試合の中で予期せぬことがあるとガタガタになってましたけど、気持ちの余裕ができました」
「毎日、練習が楽しいんです」
ボクシングに関していえば、黒田が自ら考え実践したメニューは、かなり基礎的なものだった。当たり前のことを当たり前にする。低迷の時期、できていなかったのは、突き詰めればそういうことだった。
2017年6月、1年3カ月ぶりに粉川とのリマッチの機会が訪れた。独特のリズムを持つ難敵は、相変わらずやりづらかった。それでも、「嫌な相手だなって思ったのを顔と体に出さずに、辛抱強くやれたのかな」。
前回と同じく10ラウンドを戦い抜き、前回は0-3だった判定を2-1に覆した。課題だった後半の弱さ、自ら崩れる悪癖は、「逆に相手を突き放せる」強みになった。
この勝利で日本フライ級王者となった黒田は、3度の防衛を重ねてきた。
「ここ2、3年は上り調子。30歳を過ぎて、すごく伸びてる実感がある」
そこに2度目の世界戦はセットされたのだ。「底の底」で迎えた6年前とはワケが違う。
黒田は言う。
「毎日、練習が楽しいんです。基本的には同じことの繰り返しなんですけど、その中にちょっとした発見がある。今度の世界戦は楽しみだし、デビュー戦の時と気持ちは似てますね。『これから自分はどうなるんだろう』って。それは6年前のレベコ戦の時にはなかった」
「ぼくみたいな選手がいてもいいのかなって」
プロデビューから14年が経ち、次戦は41試合目だ。くすぶっている間に、何人もの有望なボクサーたちが、黒田の脇を追い越していった。
ずいぶん遠回りしましたね――。筆者が思わずこぼすと、黒田は静かに首を振った。
「たしかに遠回りしたように見えるけど、逆に言えば、ぼくがここまで上がるためにはそれだけの試合をやらなきゃいけなかった、ということ。ぼくにとっては、いちばんの近道だったと思うんです。
すごい才能があるかと言われたら、たぶんそんなにないし、アマチュア経験もない。いまは、アマチュアで活躍して、ポンポンと行ってしまうのが主流ですけど、ぼくみたいな選手がいてもいいのかなって思うんです」
36歳の世界王者とボクサー人生をかけて戦う!
ベルトを携えて黒田の前に立ちはだかるのは、南アフリカのモルティ・ムザラネ、36歳。下馬評は、黒田の不利に傾いているようだ。
これまでずっとそうだったように、敗戦の先には引退の文字がちらつく。年齢を考えれば、ムザラネも同様だろう。
試合で奪い合うのは、世界のベルトだけではなく、互いのボクサー人生だ。
「ボクシングをここまで続けてきたのは、究極の自己満足。好きなことなんで、続けていきたいですよね。だから相手に対しては、『ぼくからボクシングを奪ってみろよ』って、そんな気持ちで戦います」
昨年末に開設したTwitterアカウントは、まだ129人のフォロワーしか集められていない(5月8日現在)。プロフィール欄に、こう記した。
「プロボクサーやってます。5月13日に世界王者になる予定です。というかなります」
32歳、色白の無名ボクサーには見えている。
慣れ親しんだ後楽園ホールのリングの上で、世界王者のベルトを巻き、両手を掲げる己の姿が見えている。
※なお、試合は当日夜7時55分からテレビ神奈川(youtube)で生中継され、解説を元WBC世界スーパーフライ級王者の川嶋勝重氏、ゲスト解説を3階級制覇王者の八重樫東(大橋)が務める。
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