2017年6月22日木曜日

“伝説”の始まり

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ボクシング・マガジンさんのfacebook 30分前
「夢の舞台へ」
文_本間 暁  写真_福地和男(会見)、本間 暁(7年前)
「念願のアメリカデビュー。これは“伝説”の始まりです」
 大橋秀行会長が、興奮気味に切り出した言葉は実に豪然。しかし、それがまったく大げさではなく、ピタリと当てはまる。
 本人はもちろんのこと、ファン、関係者、日本中が待望していた、井上尚弥(大橋)の“本場初登場”がついに発表されたのだ。
 その尚弥とローマン・ゴンサレス(ニカラグア/帝拳)が肩を並べて壇上におさまっている。ファンでなくとも垂涎の光景だ。
 背景の金屏風がなかったとしても、あまりにも眩しすぎるショットだ。
「まるで2人が戦うようですが……」と大橋会長は笑いを誘ったが、“ロマゴン”は今年3月に初黒星を喫したシーサケット・ソールンビサイ(タイ)とのダイレクト・リマッチ、尚弥はアントニオ・ニエベス(アメリカ)との6度目の防衛戦に臨むという“競演”。そして、元王者の2人がシーサケットvs.ゴンサレスの勝者に挑む「挑戦者決定戦」もセッティングされた。名づけて『スーパーフライ級トリプル・ビッグマッチ』。
9月9日(土、日本時間10日)、アメリカ(会場は未定)
◆WBC世界スーパーフライ級タイトルマッチ12回戦
王者シーサケット・ソールンビサイ(タイ)vs.前王者ローマン・ゴンサレス(ニカラグア/帝拳)
◆WBO世界スーパーフライ級タイトルマッチ12回戦
    WBO世界バンタム級7位
王者・井上尚弥(大橋)vs.アントニオ・ニエベス(アメリカ)
◆WBC世界スーパーフライ級挑戦者決定戦
WBC世界スーパーフライ級2位      同級3位
カルロス・クアドラス(メキシコ/帝拳)vs.ファン・フランシスコ・エストラーダ(メキ
シコ)
 アメリカ最大手のHBOが中継することも極めて異例。
というのも、軽量級王国のわが国では信じられないだろうが、本場のリングの主流はやはり中・重量級。あのリカルド・ロペス(メキシコ)でさえ、マイク・タイソン(アメリカ)らの前座に甘んじていたのだから、この興行が持つ意味深さはわかろうというもの。
「HBOが軽量級メインでやるのはチキータ対カルバハル以来」と語るのは本田明彦・帝拳ジム会長だ。
“GGG”ゲンナディ・ゴロフキン(カザフスタン)を抱えるK2プロモーションと帝拳、大橋、両プロモーションが仕掛ける大興行が、あのウンベルト“チキータ”ゴンサレス(メキシコ)、マイケル・カルバハル(アメリカ)のライトフライ級ビッグスターが1993年から94年にかけて行った3戦以来のムーブメントを呼びこむ。
 これには、「ベースはロマゴンが築いた」(本田会長)というとおり、とにもかくにもやはりロマゴンの功績が大きい。
 2015年から今年3月まで、ゴロフキンとの“KOスター共演”を実に4度。カリフォルニア州イングルウッドのフォーラム、そしてニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンという“殿堂”で喝采を浴びた。
 ゴロフキンとともに、“パウンド・フォー・パウンド”(同一階級と仮定して、誰がいちばん強いか)№1を争う存在にまで登りつめていたからだ。
 そこへきて、井上尚弥の登場が追撃となる。
「やっぱりナルバエス戦が大きい。あの試合で向こうにも井上君のことが知れ渡った。井上君は、どのプロモーターもほしい存在」と、本田会長がアメリカの現状を語る。
 その言葉ひとつ一つに、ビリビリと電気が走ったように体が反応する。
 2014年12月30日、東京体育館。
フライ級16度、スーパーフライ級11度防衛という屈指の王者・オマール・ナルバエス(アルゼンチン)をわずか2回で粉砕した試合。拳負傷という痛手は負ったものの、あの衝撃が全世界を駆け巡ったのだから、得たものは余りあるほど。
「アメリカを意識しだしたのは、スーパーフライを獲ってからですね。それまでは、夢にもならない遠い舞台でした」
 井上尚弥は、そう口にした。
 しかし、尚弥を本格的に初めて取材した2010年7月(ボクシング・マガジン2010年8月号特集『U―15からニッポンの旗手へ わが国の未来の担い手たち』)。17歳の高校2年生だった尚弥は、すでに世界チャンピオンに、なんら遜色ないトレーニングを積んでいた。
 当時、彼が好きな選手として名を挙げていたファン・マヌエル・マルケスが、まるでそこにいるかのような感覚に陥っていた記憶がある。
 たしか、「世界チャンピオンの練習はたくさん見てきたけれど、まったく見劣りしない。それどころか超えてます。こういう練習をずっと続けてきたんですか!」と訊ねたら、さも当然のように尚弥はニッコリと笑って、「はい!」と答えたのだった。
 もう、すでに記者の目の前には果てしない将来が広がっていた。プロデビュー後は事あるごとに、しつこく「アメリカ」「ラスベガス」という言葉を投げかけてきた。
 プロ入り直後、井上家を訪ねたときのこと。
広いリビングで、父の真吾トレーナー、母・美穂さんもまじえての取材で、「このテレビでよく海外の試合を一緒に見ているんですよ」と伺った。だから、「将来、ラスベガスとかで戦うことは考えてませんか?」と間髪入れずに放り込んだ。すると真吾さんが、「海外での試合は、まだ現実として考えられないですけど、う~ん、夢だったら東京ドームでやることですかね(笑)」と照れくさそうに話してくれた。
「東京ドーム……」。尚弥は苦笑いを浮かべながら、軽くツッコんでいたのだが。
 しかし、この瞬間からこちらには新たな発想、勝手な夢が芽生えたのだ。
 日本から海外へ行くのではなく、世界中のボクシングファンが「ナオヤ・イノウエ」を観に日本へやって来る、そんな日を──。
「年に3試合はやりたいですね。その内1試合はアメリカで」
 今、目の前にいる24歳の井上尚弥の言葉は、夢を夢でなくさせてくれる重みがあった。
「デビューするときから“怪物”というニックネームを謳ってきましたが、それがいよいよ、“モンスター”になるときです」
 大橋会長の自信と喜びが、こちらの希望をさらに膨らませる。
「グレートチャンピオン、イノウエと戦いたい」(ゴンサレス)
「お互いにしっかり結果を出して準備が整えば、自分はいつでもやりたい」(尚弥)
 会見中も相思相愛、かねてから熱望されてきた尚弥とゴンサレスの決戦。
 ロマゴンが初黒星を喫して消滅したかに思えた夢のカードも、再び息を吹き返した。
「でも、まずは自分のボクシング、井上尚弥のボクシングを披露したい」(尚弥)
 本場アメリカの観衆が、拍手喝采を浴びせ熱狂する。
その瞬間が、もう、間もなくやってくる。

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