2017年6月5日月曜日

ホールのリングは

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産経ニュース 2017.6.5 13:39
【ボクシング】 木村悠・リーグ戦の記憶「後楽園ホールのリングは誰でも立てる舞台ではない」

東京・JR有楽町駅前で待ち合わせをした。信号を待つ姿は、ボクサーではなく、さわやかな好青年だった。「商社マンボクサー」と言われた元プロボクシング世界チャンピオンは、かつて関東大学ボクシングリーグ戦で法大のポイントゲッターとして活躍した。現在、株式会社FiNCにてヘルスケアソリューション兼アスリートサポート室長を務める木村悠さんに、関東大学ボクシングリーグ戦について話を聞いた。

--ボクシングを始めたきっかけは

中学校ではサッカー部のキャプテンだった。学校が荒れていたこともあり、部員とケンカをしてボコボコにされた。そのころ、テレビ番組で少年ボクサーが紹介されていたのに影響され、中学3年の頃からボクシングを始めた。その番組には、のちに同じ高校のボクシング部に一年後輩として入部する、将来の高校6冠、プロ2階級制覇世界王者、粟生隆寛が出演していた。

高校はボクシング部に入部するため、市立習志野高校に進学。高校時代の実績はインターハイ3位、国体準優勝。

ちなみに、中学3年生の時に通っていたボクシングジムにて、初めてスパーリングした相手が粟生隆寛で、ボコボコにされている。

--リーグ戦の思い出など

法大は1部リーグ校の中で一番自由な環境で、強豪校だった。その雰囲気が合っていた。

大学4年生時のリーグ戦は減量が辛かった。リーグ戦は毎年5月から7月までの約3か月間、2週間ごとに試合があったため、試合2日後にライトフライ級48キロ(当時)から54キロ程度に増える体重を、2週間後の試合に向けて毎回6キロから7キロ減量し、ライトフライ級のリミット48キロにしていた。それでも、後楽園ホールでの試合は充実感があり、嬉しかった。

 四年間のリーグ戦での戦績は19戦16勝3敗。東農大・五十嵐俊幸と大平直樹、日大・山田有に敗れた。1年生で全日本チャンピオンになったため、常にポイントゲッターとして勝利を求められていた。

 法大では、先輩の松尾亮や石田智、同期の細野悟などが一緒に出かける仲だった。アテネ五輪全日本合宿メンバー、東農大・五十嵐俊幸、清水智信、拓大・内山高志、八重樫東、日大・佐藤幸治、平田直己、中大・正山照門なども切磋琢磨した仲だ。アテネ五輪がアマチュアボクサーの多くがプロに転向する転換期だったのでは。全日本メンバーではなかったが、専大・「神の左」山中慎介もこの時代のボクサーだ。多くがプロでもチャンピオンになったものの、全日本メンバーで中心的存在だった正山照門がプロデビューしていない。

--リーグ戦・ボクシングについて

 大学リーグ戦で戦う後楽園ホールのリングは誰でも立てる舞台ではない。今を大切に、リングで戦う喜びを感じながら、楽しんでほしい。今でもリーグ戦を観戦に行くと、懐かしく、昔と変わっていないなと。噂で「すごいボクサーがいる」と聞くと、そのボクサーを観に行きたくなる。大学生ではないが、ユース世界選手権で優勝した堤駿斗選手は観てみたい。

 私にとってボクシングとは、「強くなりたい」一心で自分を成長させてくれるものだった。これ以上やりがいがあるものを、これから見つけられるのかどうか。

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