2016年5月23日月曜日

井岡一翔の上にはスーパー王者が

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NumberWeb 2016/05/23 07:00
ボクシング拳坤一擲
世界王者が60年で10人から85人に!?
ボクシング界のビジネスと綺麗事。
スーパー王者と正規王者の対戦が進めば、井岡一翔にもエストラーダと戦うチャンスが訪れる可能性が高まる。
 ボクシングにはいったい世界チャンピオンが何人いるのか。そんな疑問をお持ちの方も少なくあるまい。
 チャンピオンの前につく冠はWBCにWBA、さらにはWBOと紛らわしいし、チャンピオンもただチャンピオンではなく、スーパー・チャンピオン、正規チャンピオン、暫定チャンピオンとやたら種類が多い。本来なら世界一強い選手1人が世界チャンピオンと呼ばれるはずだが、どうしてこのようなことが起きてしまうのだろうか。
 今回の拳坤一擲はボクシングの“なぜ”に迫る。
 まずは歴史的経緯をざっと説明しよう。20世紀が幕を開けたとき、ボクシングの階級はフライ級、バンタム級、フェザー級、ライト級、ミドル級、ヘビー級の6階級のみで、白井義男が日本人として初めて世界王者になった1952年においては、この6階級にスーパー・バンタム級、スーパー・フェザー級、スーパー・ライト級、ライト・ヘビー級を加えた10階級が存在していた。
 この時点で、世界チャンピオンはこの世に10人ということになる。
団体の分裂、階級の増加、そしてスーパー王者。
 1960年代に入ると、団体の分裂が起こり始め、WBAから分裂する形で1960年代にWBCが誕生、1980年代にIBF、WBOが相次いで生まれた(これが現在メジャーと言われる4団体。マイナー団体は他にもある)。
 階級もさらに増えて17階級になり、単純に計算すると現在の世界チャンピオンは4団体×17階級で68人。30年あまりの間で世界王者の数は7倍近くに増加した。
 さらに2000年以降に登場したのがスーパー王者で、防衛回数の多い王者を、いわば“新米王者”よりも高く格付けしようという狙いで設けられた。
 王者の称号がスーパー王者になるだけならいいのだが、WBAはスーパー王者の下に通常の王者(区別するために正規王者と呼ぶ)も設けてしまった。さらには本来ならけがなどやむを得ない事情で防衛戦ができない場合に設けるはずの暫定王者を常に認定してしまったため、一つの階級に王者が3人も存在し、それぞれが同じようなベルトを腰に巻いて防衛戦を行う─―という理解しがたい事態に陥った。
井岡一翔の上にはスーパー王者が存在する。
 WBAの5月ランキングを見てみると、17階級中3王者がいる8階級、2王者が8階級となっている。フライ級は井岡一翔(井岡)が“正規”王者で、スーパー王者(正式には統一王者)にフアン・エストラーダ(メキシコ)、暫定王者にスタンプ・キャットニワット(タイ)が君臨する。「えっ、井岡の上にチャンピオンがいるの?」と驚いた人もいるかもしれないが、実際に存在するのだ。
 ここで一点だけ付け加えておくと、日本ボクシングコミッションはWBAの暫定王者を世界チャンピオンと認定せず、国内での暫定王座戦の開催を認めていない。日本の主要メディアはこれにならい、日本人選手が海外で暫定王座を獲得しても、世界王者としてカウントしない方針をとっている。WBAへのささやかな抵抗と言えるだろう。
プロモーターと団体の思惑が経済面で一致する。
 なぜ、このようなことが起きてしまうのか。
 1つは、試合を主催するプロモーターと統括団体の思惑が一致する、という理由が挙げられる。統括団体はタイトルマッチの承認料を得て組織を運営している。つまりタイトルマッチがたくさん開催されればされるほど、懐は潤う。
 一方のプロモーターは、集客やスポンサーの獲得といった面において、タイトルマッチの冠がついているほうが、ビジネス的に有利に働くのが一般的だ。各団体は世界王座以外に、ラテンアメリカ王座、北中米王座、アジア・パシフィック王座、インターナショナル王座、ユース王座といった数多くのタイトルを認定しているが、これも上記のような理由で需要があるからだと言えるだろう(地域王座も世界王座より安いとはいえ、認定料が発生する)。
 WBAのヒルベルト・メンドサJr会長は昨年、海外メディアのインタビューに「タイトルは、大国の大きなプロモーターと契約している選手が独占してしまう。小国のボクシング発展のために暫定王座は必要なのだ」という趣旨の発言をした。
 たとえば、コスタリカのブライアン・バスケスという選手は暫定王座を獲得し、その後“本物の王者”内山に挑戦してこてんぱんにやられたが、“同国初の世界王者”としてコスタリカのボクシング界をそれなりに盛り上げたと聞く。
選手も、王者になるチャンスは多い方がいい。
 タイトルが多いことは、選手にとっても好都合だ。選手はみんなチャンピオンを目指しているから、タイトルマッチのチャンスは多ければ多いほうがいい。
「チャンピオンが何人もいていいと思うか」とボクサーに尋ねたら、彼らの多くが「それはおかしい」と答えるであろう。しかし、実際に目の前にチャンスが到来すれば「喜んで!」と思うはずだ。チャンピオンの肩書きがあれば、引退後の人生にもプラスに働くだろう。こうした背景を考えると、チャンピオンが増えるのはいわば必然とも言えるのだ。
 一方で、こういった王者乱発の状況にうんざりし、ボクシングに愛想をつかしてしまったファンも少なくない。
 数が増えれば質が落ちるのは世の常だ。その結果、ここ10年くらいを見ていても、自らチケットを購入し、試合会場に足を運ぶファンはずいぶんと減った。こうも世界戦が多くては、ボクシングを生業としている我々でさえも、ときどき何が何だかわからなくなるくらいだ。いまやボクシングファンと名乗る人ですら、日本人世界王者の名前をすらすら言えるかはなはだ疑問である(5月20日現在の日本人男子世界王者は6人。全員の名前が言えますか?)。
WBAはようやく「チャンピオンを減らす」と公言。
 こうした状況に、心あるファンやメディアは「いくらなんでもひどすぎやしないか?」とWBAを非難し続けてきた。そしてようやく今年に入り、WBAのメンドサ会長は「チャンピオンを減らす」と公言し、スーパー王者と正規王者に対戦を次々と指令、チャンピオン削減に着手した。実際のところ、これがどれほどうまくいくかはわからないが、少なくともアクションを起こした姿勢は評価したいと思っている。
 いずれにせよ、プロとして、ファンが戸惑うような紛らわしい事態は避けたほうがいいに決まっている。参考までに言うと、日本チャンピオンは各階級1人であり、チャンピオンがけがをするなど正当な理由がなければ暫定王座も設けられない。日本タイトルマッチのほうが自然な気持ちで観戦できることが多いのは、このことと無関係ではないと思う。
 ビジネスという強敵を前にして、秩序やモラルという“きれいごと”はえてして無力になりがちだ。ただし“きれいごと”をあまりに無視し続けると、ビジネスにも大きく跳ね返ってくるのではないだろうか。

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