Sports Business Info 2016-01-12T15:03:38
せりさんの「年末に格闘技」の15年間
プロ野球、Jリーグなどがオフシーズンに入り、TV放送でも歌番組やお笑いの特番などが多く組まれる年末において、数年前からボクシングのビッグマッチがこぞって開催される状況が続いている。2000年代前半はK-1やPRIDEが一世を風靡したが、「年末に格闘技」の歴史はどう移り変わっているのか。ボクシングや格闘技全般に造詣の深いライターの善理俊哉氏にまとめてもらった。
テレビ業界はボクシングへのテコ入れを続けている。2014年の年末、日本で開催された世界タイトルマッチは実に8つ。昨年末にはひとつ減ったものの、いまだ過去に類を見ない数であり、今もボクシング関係者は「異常事態」と戸惑いながら、この状況と向き合っている。
一方で昨年末は、かつてのPRIDEを彷彿させる総合格闘技イベントのRIZINもフジテレビの中継に登場。こうして形を変え続けながら、格闘技中継は15年間も、紅白歌合戦の対抗コンテンツとして年末に君臨してきた。その歴史をおさらいしたい。
1960年の大晦日ボクシングを別文化とすれば、「年末に格闘技」の礎を築いたのは2001年のアントニオ猪木氏によるINOKI BOM-BA-YEだった。ほどなくして「最強の格闘技」を決するコンセプトで、一世を風靡したK-1やPRIDEのムーブメントが台頭し、やがては激しく衝突する時代を迎える。そのなかでキックボクシング式のK-1は、大味なノックアウトショーに特化した。そのため、底辺拡大などの土壌固めをほぼ行えず、人気絶頂の時代から「一過性」と揶揄され、実際に運営は頭打ちになっていった。ただ、その歴史は実質20年と意外に長い。海外でもK-1は、キックボクシング界で長年の課題だった「ルールの統一」を大きく進展させており、「母体を失ったがルールとして生き続けてきた」と定評があるのだ。
K-1に比べるとMMA(総合格闘技)式のPRIDEは、ストイック路線が強かった。中高年には「すぐに寝っ転がるから分かりづらい」という意見も多かったが、煽り映像など、ドラマづくりのハイセンスも大きな魅力となり、若年層の反響は確かなものだった。最後は反社会的勢力との関与が公になったことで、フジテレビが中継を断念。運営側はアメリカ進出やUFCへの売却などで抵抗をしたが、結局、消滅までに時間を要さなかった。ただ、アメリカでは類似イベントのUFCが大ブレイク。ボクシングの台頭勢力として世界的な進出を続けており、UFCでも、以前はPRIDEのトップ選手こそが最高級ブランドだった。
国際的な影響力も高かったK-1やPRIDE。そのブーム後、「年末に格闘技」といえば、根強くボクシングにこだわってきたテレビ東京の中継のみとなったが、2013年にひとつの分岐点を迎える。ロンドン五輪の金メダル獲得で国民的スターとなった村田諒太のプロ転向である。この交渉で中心だったフジテレビには、K-1、PRIDEの歴史を「黒」として伏せたがる一方で、復活させるべきという気概もあり、その現実的な復活策として、ボクシングに白羽の矢が立ったのだ。そして同局は村田を新たな看板選手にする一方で、スーパールーキー・井上尚弥の試合をゴールデンタイムに大胆中継。ノンタイトル戦にも関わらず、観戦する芸能人たちがお祭り騒ぎをする演出で、かつてのような格闘技文化がボクシングで垣間見えるようになる。現在のフジテレビは、玄人好みのストイック路線。そして同局の肩入れに他局も刺激され、ボクシング中継は競い合いというより、協調を続けているようだ。
ただし、まったくの順風満帆ではない。いかに前向きになろうとも、テレビ中継は過去に計算できたような視聴率に遠く及んでいない。フジテレビが自ら断ったはずのPRIDE的イベントであるRIZINを10年ぶりに再始動させたのも、何より他のコンテンツが乏しかったからだ。
したがって、ボクシングを含めた格闘技関係者にとっては、今後も年末こそが一年で最も気を引き締める時期になる。日本プロボクシング協会の大橋秀行会長は「年間に行われる試合のクライマックスともいえる大一番を大晦日に集めるのがボクシング界の理想」と語った。これは並大抵のエネルギーでできることではないが、確かに実現には向かってきている。せめぎあい、駆け引き、そして時に衝突しているのはリング上のファイターたちだけではなく、舞台裏も同様かも知れない。


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