THE PAGE 2014.09.06 03:33
<ボクシング>八重樫のTKO敗戦に鳴り止まなかった拍手
…それは珍しい光景だった。4000人でフルハウスとなった代々木第二体育館の敗者を讃える拍手と声援が鳴り止まない。9ラウンド。八重樫が、左ストレートを浴び、ふらふらと、後ずさりするようにコーナーに尻餅をつくと、そこでレフェリーは抱きかかえるようにして試合を止めた。立ち上がろうとした八重樫は、「まだできるのに」と、ふっと笑った。突如、沸き起こった“アキラコール!”。10年以上、リングサイドの周りをウロウロしてきたが、こういう敗者への客席の反応は見たことがない。我らがチャンピオンは壮絶に散ったが、彼、彼女らは、確かに魂のぶつかり合いの聖なる音を聞いたのだ。だから感動の涙が止まらない。
TKO負けした八重樫とWBC世界フライ級の新チャンピオンとなったローマン・ゴンザレスの2人は、リング上で並んでインタビューを受けた。「負けたのにインタビューなんてすみません。やっぱりロマゴンは強かったです。打たれたら打ち返す。ボクシングの根本のとこでしか勝負できませんでした。むちゃ怖かったです」。インタビュアーが、今度は、ロマゴンに話をふると「八重樫は、パワフルでとてもいいボクサーでした」と八重樫を讃えた。軽量級世界最強ボクサー。プロアマ通じて126戦無敗のローマン・ゴンザレスの称号はダテではなかった。ファーストラウンド。八重樫は、左ジャブを軸に慎重に足を使った。互角の立ち上がりを終えてコーナーに帰ってきた八重樫は信頼する松本好二トレーナーにこう言った。
「だめです、足は使いきれません」。
あまりにもプレッシャーがきつい。右のストレートからのコンビネーションをかぶせられ八重樫は、何度かロープを背負った。「足を使うか、それとも真ん中で打ち合うか。どちらも用意していたし、後は、八重樫に『リングで感じたことをやれ!』と言っていた。プレシャーがきつくて足ではさばききれないと思ったんでしょう。本来、気持ちが強い選手。『打たれたら打ち返す』というボクシングを選択した」とは、松本トレーナーの回顧。立てていた戦術に選択の余地はなくなった。「相打ちからの連打でひるます」ーー。それは八重樫の心に頼った戦術だった。2つもらえば、3つ返す、3つもらえば、4つ返す。八重樫が足を止め、相打ち覚悟の殴りあいを挑むと、さすがにロマゴンの前進は止まった。
だが、3ラウンド、八重樫が、ワンツースリーのコンビネーションブローで、左から右、さらに左を打ちに出たタイミングに鋭く重い左フックをカウンターで合わされた。所謂、効いたわけではないタイミングのダウン。肉体的ダメージはなかったが心理的ダメージが襲う。「このペースでなんとかいけるかもと思っていたんですが、あのラウンドにダウンしたんですよね?」。八重樫の右目が腫れ始めた。
中盤に入ると八重樫もロマゴンのパンチになれてきた。土居進フィジカルコーチが「ロマゴンのパンチに耐えることができる肉体」をテーマにトレーニングで積み上げてきたものが、ダメージを吸収していたのか、左を何発かまともにもらったが、ひるまずに前に出る。ロープを背負っても、必ず反撃。「やられたらやり返す」。しかも、左フックを軸にした連打で返すので最強挑戦者が、それ以上前に出ることに躊躇する。ちょっと前に流行したテレビドラマでないが、八重樫の強い意思が、敗者となることを拒絶する。それでも的確なヒットはロマゴンである。それほどスピードはなく、思い切り打ってくるわけではないが、ガードを割り、急所に食い込んでくる。独特のリズムと距離感。リードからのコンビネーションブローは殺戮者のそれだ。
「ワンツーのあとに必ず3つ目がきて下がらされる。つなぎ、緩急、角度、技術が超一流だった、こっちもカチン、カチンと入ったものもあったが、芯でももらってくれない」。
終盤に入ってロマゴンは何度もフィニッシュに来た。エネルギーを使い果たす勢いで出てくるのだ
が、その度に八重樫の反撃に合う。8ラウンド、八重樫は、体をくっつけてトリプルのコンビネーションブローの最後に左フック。それは確かにテンプルを捕らえたが、ロマゴンは、なんでもない顔をしている。相手のインサイドで密着戦を仕掛ける手があったのではないか?筆者は、そう思ったが、試合後に松本トレーナーにぶつけると「大橋会長が『コリアン戦法だ!』と指示したのですが、プレッシャーがきつくてインサイドに入れなかった。常にロマゴンの間が生きていた」と言う。そのラウンド、強烈な右を受け、ついに八重樫の膝がガクンと折れた。ここぞとばかりにロマゴンは詰めに来たが、ダウンしたのは、八重樫が打ち返して団子状態になったところに巻き込まれたレフェリーの方だった。それでも、このラウンドが終わって発表された公開採点は、「72-79」が2人、「71-80」のフルマークが一人という絶望的な数字だった。
「採点は気にしてなかった、最初から1ラウンド、1ラウンドが勝負だと思っていた。結局、倒されたのは、何ラウンドでした?」。
9ラウンド。大橋秀行会長はコーナーで「勝負に行け!」と言った。殺るか殺られるかの壮絶な打ち合いを仕掛けた。だが、ロマゴンには、それを跳ね返すだけの底力が残っていた。2分24秒。死闘の最後に待っていたのは、八重樫のTKO敗戦……。しかし、それは31歳のボクサーが持ちえる魂と勇気と誇り、そのすべてをぶつけた美しい敗者の姿だった。「これがボクシングです。強い人が強い人と戦うのが。これが原点です。負けても八重樫の名は下がっていない」。
試合後、大橋会長も放心状態。小さな控え室で、八重樫は、気丈に話をした。リングでは、「あまりに悔しくて」、と涙した。「負けたら意味がない。よくロマゴンと戦ったとか、戦わなかっただのとか、プロである以上、勝たないと何にもならないんです。いい仕事はできなかった。今の時点での僕なんかこんなもんですから」。その左目は腫れてはいたが流血には至らなかった。
ロマゴン戦に向けて、できることはすべてやった。サプリメントの専門家である桑原弘樹氏のアドバイスとサポートを受けて計量後の食事と睡眠で、顔がむくまないリカバリーに成功していた。バナナなどの食物からカリウムを事前に摂取して、逆に計量後に塩分を取ることを自粛することで細胞の内と外の浸透圧の差を少なくしてむくみを消した。いつものようにお岩さんみたいに目が腫れてカットしなかったのも、その努力のせいだ。
これまで土曜には、息子の圭太郎君をジムに連れてきて、ボクシング教室に参加させていたが、今回は、試合前に一度もジムに連れてこなかった。通勤時間は、スマホでボクシング動画を見て、戦略や戦術を考える大切な時間。ボクシングに集中する時間を保つために八重樫は、大好きな家族と少し距離をとった。それは、このロマゴン戦にかける八重樫の覚悟の裏返しだった。
試合前でも、いつもは変わらず温厚で人懐こい男が、今回は妙に静かだった。「自分でもわかります。殺気のようなものが芽生えていることが」。八重樫は、ふと筆者にそんな話をした。
そこまで己を追い込まねば、最強と言われるボクサーと向かい合い、殺るか殺られるかの被弾覚悟で、真正面から殴り合うという戦術を選択できなかったのだろう。だが、人は、そういう限界を超えた勇気と闘志に感動を覚える。この日、最後まで鳴り止まなかった拍手と声援は、あきらめず逃げなかった男のその姿に共感を覚えた人々の証だった。
「僕は何回も負けている。僕の人生はいつもマイナスからスタートしている。これからまだあるかもしれないボクシング人生に今日勉強したことを活かすことができれば、それにこしたことがない」。イーグル京和に顎を折られた。故・辻昌健に敗れて、干され、まるで、つけめん屋のバイトが本業にようになってしまったこともある。井岡一翔との統一戦に敗れ、一度も防衛しないまま世界ベルトも失った。
敗れてなお……八重樫の人生は誇りを持って前に進む。己を知る敗者ほど美しく強い敗者はいない。
大橋会長は「すぐにチャンスはくるだろう。フライでもスーパーフライでも、ライトフライでも。3階級制覇という目標もある」と口にした。八重樫のダメージが心配だが、無責任に書けば、勇気あるボクサーの次なる激闘をまた見てみたい。またゼロから世界戦を組み立てるには、ジムにも、また大きな経済的な負担がかかるし、八重樫にも、それ相応の準備が必要になってくる。ロマゴンは、試合後、次の挑戦者として、八重樫の後輩で、この日、WBC世界ライトフライ級王者の初防衛にTKO勝利で成功した井上尚弥の名前を上げ、階級を上げる井上尚弥もまた「八重樫さんの借り返したい」と受けて立ちたいと宣言した。フライ級にとどまるなら、ジム内にもライバルがいる。
土居進フィジカルトレーナーは、こんな話をしていた。「もっと細かくフィジカルをやらねばならない。また課題はみつかりました」。過酷な練習とトレーニングという裏づけがあってこその激闘。その裏付けこそが、八重樫の誇りでもある。ただ、再起には、また苦しい道が待ち受けている。
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