2020年9月19日土曜日

“戦績以上に記憶に残るボクサー”の凄み

 https://bunshun.jp/articles/-/40178

文春オンライン 週刊文春 2020年9月17日号

「人間ってこれだけ変われるのか」 八重樫東、“戦績以上に記憶に残るボクサー”の凄み

“激闘王”と称されたボクシングの元世界3階級制覇王者・八重樫東(あきら)(37)が9月1日、引退を発表した。

「所属する大橋ジムの大橋秀行会長が『負けた試合の方が歓声が多かった』と話してましたが、被弾上等の逃げない姿勢がファンの心に響き、『俺も明日、頑張らないと』と思わせてくれた稀有なボクサーでしたね」(ボクシング記者)

 その大橋会長に思い出深い1戦を聞くと、2014年9月、ローマン・ゴンサレスとのWBC世界フライ級防衛戦を挙げた。当時のロマゴンは39戦39勝33KOで軽量級最強と恐れられた怪物だった。

「インターバルの間、観客が涙ぐんでいて、見たことのない雰囲気でね。ダウンを喫した後のインターバルで『次、思い切り行け。ダメなら止めるから』と告げたら、腫れ上がった顔で笑いながら『はい! 楽しいです』と。そんな八重樫に対して相手が怯んでるのが分かりました」(大橋会長)


ロマゴンのパンチに立ち向かう八重樫 ©共同通信社

 壮絶な打ち合いの末、八重樫は9回2分24秒で初のKO負けを喫した。

「勝った瞬間にロマゴンが号泣し、まるで八重樫が勝ったような大歓声が沸いたのが印象的でした」(同前)

 ロマゴンの挑戦を受けたこと自体が八重樫というボクサーを象徴していた。前年には井岡一翔にWBAから対戦指令が出たが、「準備期間が短い」と陣営側が拒否。しかし八重樫は二つ返事で「やります」と答えた。

「興行であり、王座を防衛することでファイトマネーが上がるプロボクシングでは、強い選手との対戦を『メリットがない』と避けるのは珍しくないこと。八重樫は、そんな大人の理屈を感じさせないボクサーでした」(スポーツ紙デスク)

八重樫が「妥協しない練習」をするようになったある出来事

 引退会見で「常に納得できる練習をしていたから、諦めない心を作ってこられた」と語った八重樫。

「今年2月に会長から引退勧告されて受け入れたはずなのに、7月頃にもジムでムチャクチャ練習してたんです(笑)。最後の試合になった去年12月の敗戦翌日も練習してて、『何やってんだ。休め!』と会長から止められてました。そういう選手です」(前出・記者)

 大橋会長に言わせると、「デビュー当時はフツーのボクサーでした」。それが、試合で顎を2カ所骨折して入院したことと、かつての対戦相手がその後の試合中に意識不明となり、後に亡くなるという出来事を経て、「妥協しない練習をする、ボクサーの鑑になった。16年、間近で見てきて、人間ってこれだけ変われるのかと思いましたね」(同前)

 35戦28勝(16KO)7敗の戦績以上に、記憶に残るボクサーだった八重樫。今後は後輩を育てる立場になるという。


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