2019年11月15日金曜日

KO負けの記憶…挑戦する側に戻って…試合がしたくなくなったら終わり

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Number Web  2019/11/15 18:00

格闘技ボクシング3度のKO負けから再起の八重樫東。「試合がしたくなくなったら終わり」
キャリアで喫した3つのKO負けの記憶は、今も八重樫東の頭の中にしっかりある。それでも、戦う気持ちは残っていた。
初めてのインタビューとは思えないほど、話は弾んだ。
 10月下旬の某日午後。まだ、ひとけのない大橋ジム。
 リング脇にパイプ椅子を並べて、八重樫東と向き合った。
 背は低いが、体はぶ厚い。インタビューに先だって行われた写真撮影のときは表情に緩みがなく、無精ひげを生やした顔はどちらかというと強面だったが、話し始めた途端に滲み出る謙虚さや人の良さや愛嬌が、数秒前までの緊張感をひと拭いに消し去った。
「KO」をキーワードとしたNumber990号(11月14日発売)、ボクシング特集の一角で、八重樫が登場する記事にあてがわれたテーマは「KO負け」。34戦のプロキャリアの中で、それを3つ喫している。
 24戦目のローマン・ゴンサレス戦。
 25戦目のペドロ・ゲバラ戦。
 31戦目のミラン・メリンド戦。
 いずれもキャリア後半の完敗だから、話題はおのずと進退におよんだ。
 はっきりと口にすることを嫌う現役アスリートも多い「引退」の言葉を、八重樫は何の悲壮感もなく語った。むしろ、時折、笑顔を交えながら、屈辱的な負けから再起してきた理由を明かした。
「どうなったら終わりなんですか?」
 やさしさに甘え、つい、突っ込んだ質問もできてしまう。
「八重樫東のボクサー人生は、どうなったら終わりなんですか。『これができなくなったら終わり』というような、基準のようなものが自分の中にありますか?」
 インタビュアーが繰り出した右ストレートにも動じない。考え、浮かんだことを、口にする。
「何だろうな。何もないとは思うんですけど……。自分の中では、試合がしたくなくなったら終わりなんだろうなと思います。感覚的なものですけど、やめるときって、『あ、もういいや』って思うときだと思うんです」

何カ月も練習しなかった日々の記憶。
 未来に想像をめぐらせていたはずの八重樫は、いつしか過去の記憶を手繰っていた。いうなれば“疑似引退”のような体験を、すでにしていた。
 メリンドに1ラウンドKOで負けた後のことだ。勝って防衛を果たせると確信していた試合にあっさりと敗れ、悔しさのあまり練習をすぐに再開した。が、続かなかった。何カ月も練習をしなかった。ボクサーとして生きてきて初めてのことだった。元3階級王者は、限りなく、ただの人に近づいていた。
「そのときの感覚、まだ覚えてるんですよ。練習を続けながら、熱が冷めていくような感じ。そうやってフェードアウトするんじゃないかな」
 だが、当時の八重樫は踏みとどまった。次戦までの空白期間は10カ月。「まだ、勝負できるような戦力は残ってるんじゃないか」。背負ったリュックを振ると微かながらに何かが入っている音がした。だから、リングに帰ってきた。
経験と内省に裏打ちされた言葉。
 ほぼ1時間にわたったインタビューの間、八重樫の語りに半ば感心しながら耳を傾けた。言葉を持っている。それは多くの場合、苦難に満ちた経験と、そのたびごとの深い内省があったことを示唆する。
「負けて男を上げてきた」と、八重樫自身が言うように、ボクサーとしてのキャリアはたしかに屈折に富んでいる。これも本人が認めるように、生来の天の邪鬼気質が、言い訳も含めてバリエーション豊かな言葉を紡ぐのだろう。
 さらに、家族もまた、八重樫の人生の大きな構成要素となっていることは間違いない。2人の子との日常が影響しているのであろう表現を、インタビューの中で何度か使った。
 たとえば、やはり引退をめぐる問答の中で、八重樫はこう言った。
「『いままでありがとうございました』ってみんなに頭を下げる。そこまでが、八重樫東ってプロボクサーだと思う。おうちに帰るまでが遠足ですよ。そこまでやれば、『おれもよくがんばったな』って、自分自身、思えるんじゃないかな」

「自分がやるとは思ってなかった」
 帰ってきた男、八重樫は、12月23日に世界戦に臨むことが決まった。ミニマム、フライ、ライトフライと3階級のベルトを巻いてきて、4階級目となるスーパーフライ級の王者を目指すことは、現役続行の大きなモチベーションだった。だが、マッチメイクが難航した結果、次戦でターゲットとするのはフライ級のベルトである。
「まったく違う方向になりましたけど、いい方向転換ができたんじゃないかなとは思います。このまま宙ぶらりんで来年を迎えたらどんな気持ちになるんだろうと思ってましたし、勝負をかけにいくには、いい相手だなと思ったし……。
 もう一回、こっち側、挑戦する側に戻ってきた。ぼくなんかは、そっちのほうがモチベーションが上がるタイプなんで」
 相手は、IBF世界フライ級王者のモルティ・ムザラネだ。今年5月にも来日し、後楽園ホールで黒田雅之を3-0の判定で下した。八重樫は奇しくも、その試合の中継で解説を務めていた。
 挑戦者は破顔する。
「もっとちゃんと見ておけばよかったですね。まさか自分がやるとは思ってなかった」
 筆者は、記事を執筆した縁で、このインタビューの数日後に黒田と食事をする約束があった。「ムザラネについて、黒田くんに何か聞いておきたいことはないですか」と八重樫に尋ねると、ぜひ、と言って3つの質問を並べた。
「パンチは固かったか。パンチは見えづらかったか。体感としてのスピードはどうだったか。そこだけは聞いてみたい。感覚的なものなので、人間は対峙しないとわからないんです。重要な意見ですね」
黒田もまた、進退を悩んでいた。
 後日、下北沢に近いもつ鍋屋で、およそ5カ月ぶりに黒田に会った。
 41戦のキャリアを重ねた33歳。2度目の世界挑戦に敗れ、ここでも進退が話題にならざるを得ない。
 黒田もまた、いつかの八重樫に似て、ボクシングと一定の距離を置きつつ身の振り方を決めかねていた。言葉にしてしまうことで何かが動きだすのを恐れているかのように、問いに対してしばらく唸った後、こう絞り出した。
「本当にこの後どうなるかはわかりませんけど、いまの気持ちとしては……5.5対4.5くらいですかね」
 ウーロン茶で舌を湿らせつつ、黒田は現役続行にわずかながらに傾いている胸中を吐露した。
 八重樫は10カ月悩んだらしいから――。
 筆者がそう言うと、黒田は「じゃあ、まだしばらくは考えていられますね」と笑った。

引き際を自分で決められる幸せ。
「でも、自分で決められるってことは幸せだなと思います」
 つづけて黒田が発したその言葉は、八重樫の「線引きは自分でする」という言葉と符合する。かつてはよくスパーリングをした2人は、長いキャリアの間に、ともに世界戦の舞台を経験した。
 数多のプロボクサーがほとんど選択の余地なくリングを去っていくなかで、現役生活のピリオドの打ち方を自分で決められる権利を得たことは、たしかに幸せなことなのかもしれない。
 だが、3分間すら戦ったことがない身としては、彼らはある意味での“死に場所”を探し求め、さまよっているように見えて、切なくもなる。
 八重樫から預かってきた3つの質問に対しては、黒田はこう答えた。
「パンチはたしかに固いです。スピードがあるというより、最短距離でまっすぐ飛んでくる感じなのでよけづらい。それに、想像以上のひと伸びがあるんです。ぼくはそれを結構もらってしまいました。ガードも、手でこう(上から)押さえるようにしてみたんですけど、全然動かなくて驚きました」
「嫌いな食べ物を食べにいく感じ」
 ムザラネについて、八重樫自身は次のように分析していた。黒田の答えを聞かずとも、多くを言い当てていた。
「強いですよ。見た目以上に強いですよ。頭がちっちゃくて、手が長くて。ガードも高い。ぼくの中では苦手な部類だと思ってます」
 そして、また子育て中の父親の顔をのぞかせる。
「変な話、嫌いな食べ物を食べにいくような感じですよね。だからこそモチベーションが上がる。『おれ、ピーマン食えたよ。ちっちゃいころは食べれなかったのに。すげえじゃん』って」
 インタビューを終え、パイプ椅子から立ち上がった八重樫は、右腕をぐるぐると回す。年末を楽しみにしている、と声をかけると、にこにこしながら言った。
「はい。やってやりますよ。いいんです、言いたいやつには言わせとけば。厳しい試合にはなるでしょうけど、我慢比べですね。気持ちが折れたほうが負け。そういうの得意なんで、ぐちゃぐちゃにしてやりますよ」
 メリンド戦での初回KO負けから長い時間を経て、またボクシングをしようと歩み始めたとき、リュックの中でからからと小さな音を立てていたものは、弁当箱に残ったピーマンだったのかもしれない。そんなふうに考えると、勝手に抱いていた切なさの感情は吹き飛んでいく。
 遠足を明日に控えた少年のような明るさで、八重樫は難敵との勝負に挑む。おうちに帰ってくるのがいつになるのか、まだ誰にもわからない。

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