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同級生 水谷監督!
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YAHOO JAPAN NEWS 9/14(土) 11:05配信東スポWeb
横浜隼人・水谷監督と花巻東・佐々木監督の恩愛の絆
熊本県玉名高投手、1952年西鉄、55年なかば大映の坂上惇が6月に博多で亡くなってからあっという間に秋になった。彼は会うと「上には上があるなー」。
オハコ話は「52年のことです。西鉄の豪打者深見安博さんと大映のキャッチャー伊勢川真澄さんが本塁でもめました。大映ベンチから東都大学の最強打者、中央大で深見さんの5年先輩の加藤正二さんが出て来ました。すると西鉄ベンチから三原監督。“正二、なにしとるね”。三原さんは加藤さんの高松中学の大先輩です。加藤さんが一礼。凄いと思っていると、大映ベンチから藤本定義監督。三原さんは巨人契約第1号選手と聞いていましたが、藤本さんは早大の先輩です。“三原、そのくらいにしとけ”。三原監督がベンチに戻りました」。
この話と次の話は直接関係ないが、エンゼルスの大谷翔平の先生は花巻東の佐々木洋監督。佐々木監督の先生は、横浜隼人高の水谷哲也監督。「上には上がある」のは確かである。
佐々木は国士舘大捕手のときから水谷を慕い、尊敬し、教員資格取得に大事な教育実習も水谷の計らいで横浜隼人で受け、卒業後同校で先生、野球部コーチ。勉強をして2001年、56年創校の花巻東に赴任。日本史の先生で監督に。
佐々木を慈しんで来た水谷は「わたしは彼のご両親のお人柄を学ばせて頂いているんです」。謙虚にいうが、前回の東京五輪の64年、徳島生まれ。徳島市立高、国士舘大、卒業後、横浜市瀬谷区の横浜隼人の先生に。まっしぐらに赴任した。母校国士舘大に近かったからである。
水谷哲也のすべては人を大切にしていることから始まっている。催しがあると進んで裏方を務める。私は彼が横浜での関係者の会で、クロークの手伝いに一生懸命だったのに何度も出会っている。
横浜隼人高を訪れるとお客さんを迎える玄関がキレイである。校長は心ひろく、やさしく、校舎からすぐのグラウンドは第二の教室のようで、ベンチ隣に机を出して宿題と取り組んでいる選手、からだに力をつけようと弁当を食べている選手、外野で長距離走の選手、のびやかでひたむきだ。
09年横浜隼人は神奈川で勝ち、第91回大会に出場。1回戦6対2伊万里農林。2回戦でなんと花巻東とぶつかった。それは甲子園大会が両校にプレゼントしてくれた恩愛のトロフィーともいえた(1対4花巻東)。
あの日から10年目になる。花巻東が岩手大会で勝ち甲子園にやって来た。「逆転の花巻東」の4番は水谷哲也監督の令息2年生の水谷公省。5番が同、田村陽大。男の修行に出る公省くんを立派な高校生に育てますと、佐々木は言ったに違いない。
この2年生は岩手大会前に、3年生の重圧を支えたいと言っていたが、この心くばりだけでも成長が伺える。佐々木、水谷に感無量の第101回大会だったであろう。水谷はいま3年生の進路相談に忙しい。その姿は、夕焼けによく似合っている。
※昨年、八重樫選手が瀬谷の露木後援会長他何人かの方々と岩手に帰った時に、震災復興の時に(今も続けておられますが)瀬谷丸という船を大槌の漁師の皆さんへ寄贈してくれました。その大槌へ向かう前には花巻東高校の佐々木監督を訪問して、大槌へ向かうと、露木会長が話されていたような気がします。大橋会長と水谷監督、そして水谷監督と佐々木監督、今年岩手代表花巻東の4番は水谷監督のお子さん、いま八重樫選手は横浜の瀬谷に住んでいます。
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