2019年5月14日火曜日

世界王者逃す

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日刊スポーツ 2019年5月13日21時58分

黒田雅之判定負けで世界王者逃す 会長との夢叶わず
<プロボクシング:IBF世界フライ級タイトルマッチ12回戦>◇13日◇東京・後楽園ホール
IBF世界フライ級4位黒田雅之(32=川崎新田)の世界再挑戦は失敗し、令和第1号の世界王者を逃した。同級王者モルティ・ムザラネ(36=南アフリカ)のV2戦で6年ぶりに世界再挑戦。左ボディーを中心に最後まで攻めたが、的確なパンチをもらってリードされ、0-3の判定負けを喫した。高1からアルバイト生活で、13年の世界初挑戦失敗から挫折を乗り越えてきたが、入門17年目で41戦目の悲願達成はならず。日本人の世界挑戦は日本人対決を除いて7連敗となった。

黒田は打たれても打たれても攻めた。5回には左目の上をカットし、終盤は右目周囲もはれ上がらせた。それでも最後まで攻めたが、左ボディー以外の有効打を奪えず。手数の多い王者の連打に屈した。「想定より拳1個分リーチが長かった。結果にあーだこーだ言えない。実力不足」と負けを認めた。
13年の世界初挑戦は大差の判定負けを喫した。その後も厳しい状況が続いた。再起戦は引き分け、2戦目に日本王座挑戦もTKO負けした。新田会長が強制的に、自腹で1カ月のメキシコ武者修行に出したが、現地で判定負け。再起後2度の日本王座挑戦にも失敗していた。
高1から自宅、ジム、バイト先の3カ所をめぐる生活を送ってきた。趣味も特にない。会長から深夜や早朝の電話で日程変更され、夜中に後援者との食事に呼び出された。ピンチの挽回力が課題に、いじめでタフさを鍛えられ、危機対応力が増した。17年に日本暫定王座を獲得し、やっとつかんだ世界再挑戦の舞台だった。
田口良一とは引き分けている。12年に井上尚弥のプロテストのスパー相手では圧倒された。拳四朗、木村翔、田中恒成、比嘉大吾らも、黒田を踏み台に世界へ駆け上がっていった。黒田は「自分にイラだった日々」を過ごしてきた。
中学まで剣道部も小柄で体力差を感じ、徳山昌守の世界戦に刺激を受けた。高1時に専門誌で川崎新田ジムのオープンを知るとすぐに入門。会員番号18で、ジム第1号プロの最古参で新田会長の一番弟子。二人三脚でこぎ着けた令和初の国内世界戦も、夢はかなわなかった。
◆黒田雅之(くろだ・まさゆき)1986年(昭61)7月17日、東京・稲城市生まれ。中学では剣道部で2段。永山高1年時に開設した川崎新田ジムに入門し、05年プロデビュー。06年全日本新人王MVP。11年に日本ライトフライ級王座獲得で4度防衛。13年にWBA世界フライ級王者レベコ(アルゼンチン)に世界初挑戦も判定負け。17年に再起後3度目の挑戦で日本同級暫定王座獲得。王座統一を含め4度防衛。167・5センチの右ボクサーファイター。家族は母と妹。
▽前WBO世界フライ級王者木村翔 ディフェンスのいいチャンピオン。黒田選手がガードを破れなかった。僕がやるしかないと思った。
▽元3階級制覇王者八重樫東 左ボディー中心で攻める黒田選手の狙いは良かったが12回の長丁場の中では単調になってしまう。王者の引き出しの多さが勝敗を分けた。
▽黒田のあだ名「ラストサムライ」の元祖、元WBCスーパーフライ級王者川嶋勝重氏 黒田選手はコンビネーションがワンパターンになってしまった。その差が出た。顔も腫れていたし、パンチが効いていた様子だったがそれでも気持ちの強さで何とか判定に持ち込んだ。頑張った。

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