THE PAGE 10/8(月) 5:00
消えた右。井上尚弥の衝撃70秒KOは計算されていた
井上尚弥のWBSS初戦は衝撃の70秒KO劇だった(写真・山口裕朗)
ボクシングの最強決定トーナメントのワールドボクシングスーパーシリーズ(WBSS)が7日、横浜アリーナで行われ、WBA世界バンタム級王者の井上尚弥(25、大橋)が元WBA同級スーパー王者で4位の挑戦者、ファン・カルロス・パヤノ(34、ドミニカ共和国)を1ラウンド1分10秒で衝撃KO勝利で準決勝へ進出、同王座の初防衛に成功した。出したパンチはたった3発。「最初で最後のパンチ」(井上)となる右ストレートの一撃で、元世界王者を葬ったが、実は、パヤノの対策として準備され計算されたKO勝利だった。井上は、日本人ボクサーの世界戦最短KO記録、最多連続KO、通算最多KOの3つの記録を更新。今月20日に米国で行われるIBF同級王者、エマヌエル・ロドリゲス(26、プエルトリコ)対ジェイソン・マロニー(28、豪)の勝者と来年3月にも米国で対戦することになる。
消えた右ストレート
敗者の控え室。
パヤノのトレーナーが突然、話に割って入った。
「その質問は失礼だ。敗者にする質問じゃない」
衝撃の右ストレート。その衝撃度を確かめようとする日本人記者の質問に陣営は血相を変えた。
パヤノが逆にトレーナーをなだめて返答はした。だが、それだけ元世界王者陣営は、このWBSSに賭けていたのだ。
「井上は、大変強くハードパンチャーだった。決して油断していたわけじゃないけれど、見えなかった」
右ストレートが消えたのである。
いや正確には消したのだ。
開始わずか70秒。ファーストコンタクトとなる2発のパンチが、試合に決着をつけた。左のまるでストレートのようなジャブを内側からねじこんでおき、間髪入れずに右ストレート。いわゆるワンツーにパヤノはスローモーションのように腰から落ちた。
「手応えがもの凄く拳に伝わってきて、かなり効いているのがわかった。この一撃で終わったという手応えがあった」
パヤノの目は逝っていた。パヤノは上半身を起こそうとするが、力が入らず、体をねじるだけ。レフェリーは10カウントを数えた。
1万人。最上部席まで人で埋まった横アリの観客が総立ちになった。スポットライトがまるで光の檻を作ったリングが大歓声に包まれる。
「最後のパンチ。いや、最初のパンチでもあったんですが、ジャブを内側から入れた。めくらましです。死角を作ってからの右ストレート。練習していたパンチでもあったんです。距離感もそうですが、出会い頭というか、一撃がフィットしたというか、そういう感じだった」とは、本人の解説である。
左のジャブをねじこんだことで、パヤノは反応して、少し体を斜めにして動いた。だが、直線的な動きをするパヤノにとって、その動きは、逆に次に飛んでくる右ストレートの死角の位置に動くことになったのだ。
衝撃に構えることもできず、見えない右を、もろに受けたのだから、当然、ダメージは倍増する。
しばらくして、パヤノは立ち上がり井上に握手を求めたが、鼻血が噴き出し、その足は、まだぶるぶると震えていた。試合直後のWBSSのインタビューアーはフィニッシュブローをボディと勘違いした。速すぎて見えなかったのだ。
実は、父であり専属トレーナーである真吾氏は、事前にビデオを見て、まるでフェンシングのように前後に直線的な出入りをするサウスポーのパヤノに対しては、このワンツーが効果的であるという結論を出して練習を重ねてきた。
真吾トレーナーが言う。
「あの左は内側からも外側からもパヤノ想定のサウスポーにスパーでも当たっていたんです。直線的に動くでしょう。やりやすいイメージはあったんです。お互いに瞬間を見切った。ドンピシャの一発。あの流れでたまたまはない。しっかりと踏み込みを入れていた。尚のスピードに反応できなかった」
「楽しんで戦う」メンタルコントロール
「慎重にスピードを見切ろう」
それが序盤の真吾トレーナーの助言だった。
井上は、左でジャブを打つわけでなく、パヤノの右のグローブをパンパンと叩くような軽い動きを繰り返しながら距離感を探った。まるで昆虫の触覚のようである。パヤノが飛び込んでくると、そこに右のアッパーをカウンターで合わせたが、紙一重で空を切った。そのタイミングを見たとき大橋会長は「これは早く終わる」と秒殺の予感がしたという。
再び70秒の衝撃の一発の本人回想。
「あの踏み込みのワンツーは倒すつもりではあった。相手が反応できなかった。体が勝手に動いていた。インサイドジャブをついたところに、若干、反応していたが、自分がちょっと早かったってことです」
ーー計算づくだった?
「踏み込みは、練習していた。パヤノの映像を見ているとバックステップの速さがかなりありテクニックもある。それ以上に踏み込まないと当たらないと考えていた」
ステップインという名の足で破壊したのだ。
パヤノの作戦は「距離を取ってパンチの届かないところでボクシングをすること」だった。だが、その距離を驚愕のステップインと、スピードで潰したのである。
おそらく井上はトップアスリートが感じる「ZONE」に入っていたのだろう。凄まじいまでの集中力だ。
WBSS流の演出で入場前にコーナーポストの手前にあるステージでスポットライトを浴びる時間があった。井上が右手を上げるだけで1万人の「ウォー」という大歓声が沸き起こったが、パヤノの入場を待たねばならず、本人いわく「最初はよかったけれど、あの時間は長かった」。
集中力が途切れてもおかしくない状況にあった。
だが、リングインするなり、真吾トレーナーは、「いつも通り!集中して!」と、それだけを耳元でささやいた。
「集中は、毎回するが、トーナメントの一発目で日本で開催ができている。置かれている立場も十分にわかっている。それ以上に集中していた」
控え室の様子も、3階級制覇に成功した5月のジェイミー・マクドネル戦とは少し違ったという。前回は、かなりナーバスになり「一人の時間を作ってほしい」と、数人を残して控え室から人払いをした。だが、今回は、「余裕というか、楽しんでやろうという雰囲気があった。マクドネル戦は、計量後にでかくなってきたり、初のバンタムだったり、わからない部分が多すぎたからね」とは、真吾トレーナーの談。
井上も、試合前から必ずコメントに「楽しむ」というフレーズを挟みこんでいた。
「楽しむイコール、自分の本来のボクシングができる。楽に平常心で戦うということ」
プロ17戦目にして井上はリング上で最大の集中力を発揮するためのメンタルコントロールの術を身につけていた。
裏に隠れていた70秒衝撃KO劇の理由である。
トランクスに長男「明波」の名を刺繍
トランクスにはベルト付近に「明波」とオレンジ色の刺繍を入れた。5日に1歳となった長男の名前だ。これまで将来的に、長男にいらぬプレッシャーをかけたくないとの思いもあり、名前は非公開としてきた。だが、今回、WBSSの規定で広告を入れることができないため、父が設立した会社の「明成塗装」と入っていたところに我が子の名前を入れた。
井上は、最後まで悩んでいたが、真吾トレーナーが「こだわりがあるのもわかるけれど、トーナメントの初戦なんだから、子供の名前でいけよ」と背中を押したという。
井上が言う。
「まだ会話はできないんですが、家では“がんばるよ”と語りかけて、気持ちを奮い立たせてきた。その名前がトランクスにあるだけで、がんばるひとつの理由にもなる」
試合後のリング上では明波君を抱き抱えた。
ちなみに命名には「明るく。明成塗装の明から取った。波のように元気に育ってほしい」との願いがこめられているという。「将来、成長してから映像を見てくれたら、最高の思い出になるね」と相好を崩した。
「でもね。息子をリングに上げるのは、これが最初で最後」
そういう井上に大橋会長が「次は優勝したときでいいんじゃない」と薦めると井上は「考えておきます」と笑った。
試合後の会見はWBSSの仕切りで日本語通訳付きの英語で行われた。風呂敷は広げるが肝心なことは煙に巻くWBSSプロモーターのカレ・ザウーランド氏は、最大級の賛辞。
「モンスターぶりを見せた。爆弾が着弾してショックウエーブが起きた。これはただの1勝ではない。ジョシュア、ワイルダー、カネロ、ゴロフキンらのハードパンチャーがいるが、階級を超えて、井上が地球でナンバーワンのハードパンチャーであることを確認したよ」
世界戦における日本記録も3つ更新した。
「記録はついてくるもの」と語っていた井上は、日本人メディア用の囲み会見で「トリプルの記録って何と何と何なんですか?」と逆に質問。
元WBA世界ライトフライ級王者、具志堅用高の6連続KOと、元WBA世界スーパーフェザー級王者、内山高志の通算10試合KOを超え、元WBA世界スーパーライト級王者、平仲明信の持つ92秒の最速KO記録さえ塗りかえた。
だが、強いがゆえの悩みがある。
5月のマクドネル戦は112秒、パヤノ戦が70秒では、強すぎて課題が見つからないのだ。真吾トレーナーも「何も言うことがない」と苦笑いである。
「伸ばすために悪いところを見つけるのが自分の役目。マクドネル戦の時は、つめるときに雑なところがあった。早い決着の中でも課題はあったが、今回、駆け引きをしながらパンチを見切って集中して、あれだけの綺麗なタイミングで倒した。次の対戦相手を見て対策を練ることしかできない」
もう練習中も「気を緩めるな!」「集中しろ!」とメンタル面のアドバイスしかできないという。
井上は、この試合で、多少、パヤノがラフにくることを想定して「ラフファイトや、揉みあいになること」を体験できるとも考えていた。だが、一発のパンチをもらうことなく、2発のパンチで勝敗は決した。
「未知数な面はあるけど、今日みたいな試合のほうがいい。練習で課題をクリアすれば大丈夫。大事なのは基礎。基礎をもって固める。ひとつひとつ集中して1日、1日やっていけば」
120か国以上のボクシングファンに大きな衝撃を与えて「重要なのは基礎」だという。これからトーナメントを戦う6人のボクサーは寒気がしたのではないか。
次戦はロドリゲスvsマロニーの無敗対決の勝者との準決勝。来年3月、米国が開催予定地だ。
井上陣営は、20日に米国オーランドで行われる、そのロドリゲスの試合を観戦に訪れ、その目で勝者を確かめるが、井上は「ロドリゲスが勝つだろう」と言い、準決勝に進むことのできなかったパヤノも「井上がロドリゲスに勝つだろう」と、18勝無敗12KOのホープの勝利を予測した。
ちなみにマロニーの方は5月に井上との対戦経験のある河野公平(ワタナベ)を6回にTKOで下している。
パタノは、そして、こうも続けた。
「優勝最有力候補に値するのは井上だ」
WBAの同級スーパー王者のライアン・バーネット(無敗)、“レジェンド”元5階級王者、ノニト・ドネア(比国)、WBO同級王者のゾラニ・テテ(南アフリカ)らが、トーナメントに参加しているが、日本生まれのモンスターに1ラウンド以上持ち応えることのできる骨のあるボクサーは、果たして、この中にいるのだろうか。
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